題字:権田直博

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2016年11月30日水曜日

ぐるぐると考える

昨日休みだったのであたらしい冷蔵庫も来たし(そのため 冷蔵庫を空っぽにしてたのでなにも食べ物がない)一人でスーパーに買物にいきました。
近くにはリドルという安いスーパー、カイザースというすこし高めのスーパー、それから アルナトゥーアというビオ(オーガニック)のスーパーがあります。
野菜はできるだけアルナトゥーア(カタカナでかくとなんか変だな)で買おうとおもっていて、そこはいうほど高くないので 私のようなものでも買えます。
普通よりすこし高いっていうくらい。 ときどき 同じか、ビオのほうが安いときもあったりする。
カイザースもリドルも一応ビオの野菜おいてるんだけど 品揃えや状態があんまりよくない時があるのでそういうばあい 二度手間なのでビオスーパーの方に行くことが多いです。 ただ、カイザースやレーヴェ(というスーパーも近所にはないが他の場所にある)は夜遅くまで24時くらいまであいてたりするので バイト後とかによるのは便利です。

話がそれてしまった。

それで アルナトゥーアに向かって歩いてる途中 橋の下に家のない人の家があって そこに小さいテーブルがあって みんなそこにお金や何かを時々寄付したりしてるみたいで。
わたしの前にあるいていた男性は足をとめて リュックからりんごかなにかを出してそこのテーブルにおいていた。

私はなにもしなかった。

そして また歩いていくと 教会の前に男の人がすわってその前には紙コップ(お金を受け取るため)がおいてある。
途中の水たまりや池はこおり始めていたので 気温は多分もうマイナス。
寝袋みたいのにくるまって その男の人はいつも座ってる。
前はカイザースの前にすわってたんだけど 最近は教会の前に移動した。
あまりに細くて最初女性かとおもってたけど このまえ見たら男性のようだった。
彼はいつもただ座っている。

わたしは何もしなかった。

私はお金をいっぱい持っていたので(ソファーを買うためのお金)そのお金を銀行の口座にいれなくちゃいけなくて、銀行に行った。
銀行のドアを開け閉めしてくれる男性(彼もまた 家があるのか無いのか、 そうやってお金を稼いでいる。前は彼もカイザースの前にいて 雑誌を売ったりしてた。 その雑誌は受け取らなくても良い。 )がいた。
彼は教会の前に座っているひとよりエネルギーがある感じだ。

わたしは 銀行(ATMだけ)のドアを開け閉めしてくれたり 自分で仕事を作り出しているひとに対して 時々小銭がたくさんあるときに ドアをあけてくれてありがとうとお金を渡す時がある。 
でもこの時、お金があるにもかかわらず、 渡せなかった。 
なぜなら 教会の男性にお金をわたさなかった直後だからだ。
でも彼はこうやって自分で仕事を(勝手に)やっている。(そもそも銀行のドアを開け閉めする仕事なんかない。が いろんな銀行でそういうひとがいる。元気に挨拶してくれるひと、無気力に開け閉めしてるひと 様々だけど。ATMの部屋内は温かい。) それそれに対して払うのだから良いのだろうけど、あきらかに教会の前の男性のほうが エネルギーがなく、同じお金ならそちらに渡すべきなんじゃないか、とかぐるぐる考えてるうちに 銀行から出てしまった。その後もずっと考えながらあるいていた。

教会の前の彼は、きっとやろうと思えばドアの開け閉めもできるだろう。縄張り等があるのかもしれないが、、、ほかにも 雑誌を売ったり、 空き瓶をあつめたり、支援もうけられるんではないだろうか。
でも 見る限りいつもそこに座っている。もちろん24時間365日わたしも底にいるわけではないので 見てない時間のほうが長いから もしかしたらなにかしてるかもしれませんが。
一方 銀行の開け閉めや雑誌を時々うってる彼は 笑顔で仕事を自ら見つけてやってる。
わたしには 出会ったすべての 紙コップを差し出すひとにお金をわたすということはできない。其のときに小銭がなかったらどうする。 小銭が有るときだけ渡す? わたしだってそんなに裕福なわけではない。
でも、わたしは 自分やパトのために 少しだけ高いビオのスーパーにいく余裕はある。

でもそれは私やパトは 働いてお金を稼いでいるから。
彼が働けない理由があるのかもしれない。
わたしのような外国人が彼らから仕事を奪った?
それは言いがかりだ。 ビザの問題?もしかしたら彼はどこかの国からながれてきて働けるビザがとれないのかもしれない。 もしくは ほんとに無気力なのかもしれない。
でも 生きている。ほとんど 一日じゅう同じ場所で座って 毎日。でも
紙コップをおいてるということはお金を入れてくださいという意思があるんだ。


勝手にこうやって考えを巡らせることも 自分本位で失礼なことかもしれない。
わたしはただ、 自分の責任から逃れるために 言い訳をつくってるだけだ。
なぜ、彼にはお金をわたさず、仕事をしてる元気そうなひとにお金を渡そうとおもうのか。
自分の中で理由を作らないと、寄付というものは できない。
全部に平等になんて どうやっていいのかわからない。
そして 答えはまだでない。

今まで通り、 小銭がたくさんあるとき、 仕事をしてるひとに、ありがとう、と渡すというので行こうと思うが、それが正しいのかわからない。




バイト先のみんなが冷蔵庫をプレゼントしてくれた。
小さくて古くて冷凍庫が壊れててブーーーーーンってうるさくて、でも 木目調でかわいくてなかなか気に入ってて、一応つかえるし買うとお金もかかるし、で、買い換えるのに抵抗があったけどそろそろ買い替えたいな と思ってたので 心底嬉しい。
冷凍庫も別室になってるりっぱなやつです。
しかも全然うるさくないしエコのやつです。 ありがたい、本当にありがたい。
冷凍庫がついてるもんだから バイト先から 冷凍うどんを買いました。
(日本の食品の販売もしてる日本食レストランなのです) これでおいしいうどんが食べられる。食べられるというか 速攻たべました。
パトもうどんがすきなので 喜んでいます。

肉を食べないと痩せるかなという淡い期待は、もちろんかなっていません。
肉食べないからって痩せないよ。
他のもの食べてるから。 チョコもチーズもパンも食べるし。変わらないよ。なにも。
痩せたり体調良くなる人もいるんだろうけど、私は特にかわらない。相変わらずなんらかのアレルギーで鼻水はいつもでてるし、昔金属アレルギーでやられて なおらない首のカサカサの痒い部分もなおらないままだし まぶたもアレルギーでかさかさになるのも なにもかわらない。イライラしなくなるとかもいうけど するよ。
それか 1ヶ月やそこらだから なにもかわらないだけかな。
たぶん人それぞれなんだろう。


いつまで肉が食べられないのだろう。夢なんだからそんなのもうどうってことないのにな、
でもまあ別に食べたくならないから 食べなくて良いんだろう。
食べたくて仕方なくなるときまでとりあえず様子をみよう。

餃子とか え まさか一生たべられないの? とおもうけど まあ 別にひき肉が入ってない餃子でもいいや とか今は思うのです。
そんで 今使ってる財布は 革製なんだけど それも なんか ちょっと抵抗をかんじはじめてしまっている。 でも気に入ってるんだけど。
ひとはそうやって veganになっていくのだろうか

そしてパーティー

結婚式から一週間後 こんどは 大勢の友達とパトの親戚たちを招いてパーティーをしました。
一つのクラブというか ライブハウスというか そこを貸し切り、友達のバンドと私達が演奏したり、友達がたくさん食べ物をつくってくれたり、ケーキもつくってくれたり、そんなパーティーです。
わたしはもともと 結婚式は森でみんな動物とかの格好をしてやりたいな とふんわり思っていたんですが 時期は11月 森なんか寒すぎ、暗すぎてむり。
てことで、 ドレスコードだけは決めました。
動物か小人。

コレが結構みんな本格的にメイクしてきてくれたり 衣装をつくってきてくれたり、楽しんでくれたみたいで、よかった。
親戚のおじさんたちなんかはよれっとした三角の帽子かぶるだけで小人になるし。
写真を載せたいけどこのご時世、かってに顔がでてる写真なんかのせるわけにはいかないので 想像でおたのしみください、、

後ろ姿のはいいかな 歌ってるのはわたしとリンダです。zzzです。



DJも友達がやってくれて みんなすごい酔っ払ってた。あと結婚式でよくある ふたりの小さい時の写真とかをまとめた映像を友達が密かに各々の家族や友達
とコンタクトをとり、写真をあつめつくってくれて 上映してくれた! うれしかった。
が! 私はその時吐き気とたたかっていたのです。
なんか多分会場の空気と疲れで 外の空気吸いに行こう、水のみたいとおもってるときに なにやら映像が始まりそうな雰囲気。 これはもしや、 とおもいつつ 今外に出ていくわけにはいかない!とにかく映像! だが なんかプロジェクターの調子がよくないのかなかなかはじまらない、 そしてついに始まった映像。
本来 感動して泣くだろうとおもうほどだったが それどころではなかった、、、
あとで映像をもらうことにした。。。チーーーン。
でもみんなすごくわらったり 歓声をあげたりして もりあがってた。

宴は朝方まで続き 家に帰ったのは4時過ぎでした。

これにて おおきなイベントは終わり。

あとは手続きの数々を済ませるのみ。









2016年11月28日月曜日

結婚

先日、ついに結婚しました。
standesamtという役所で式をあげました。
といってもそんな大層なものではなく 役所のだれか偉そうなひとがなにか話して サインしてっていうかんじです。
うちの両親と妹も日本から来てくれました。それがなによりうれしかった。
友達数人と、パトの家族と。
リンダが 頭につける花輪をつくってくれた。
退場のときみんなとハグをするんだけども、そのときやはり涙がでてしまった。
パトの家族がしっかり受け入れてくれている嬉しさと、ああ中山じゃなくなるんだな、という寂しさと。別にドイツだから 夫婦別姓でもかまわないんだけど、 相手の名字に知ることにした。なんとなくそれが けじめのような気もした。
生活自体は前となんらかわらない。もともと一緒に住んでいたし、生活のためのお金は別々だし。 
そして ビザも無事3年分とれた。なんかB1(レベル)終了した証明書みたいなのをもっていかないと無期限のはもらえないぽかった。 わたしは終了したけどそんな証明書もってなかった。まあいいや とりあえず三年。 なんでもできるビザ。
どこでも働けるし、学生にだってなれる。

なんとなく将来外国にいくんじゃないかな〜と幼少期おもってたけど 結婚までするとは。わからないものです。

まだまだドイツ語はわからないことだらけだし、日々精進あるのみですが、
なんとなく 落ち着くとこに落ち着いたんだなという気がしています。

そこに落ち着いたのは いままで出会った人たち、モノ、出来事 すべてがここにつなげてくれたんだなと思います。
そして今もまた 先にずっとつながっているんだな。



日本の旅 3

尾道はホステルにとまりました。
まえにMさんがおすすめしてくれた あなごのねどこというところ。
すごく雰囲気も良くてそこにしてよかったです。
ビーネと銭湯にいったり、 散歩したり、みんな各々のんびりすごしました。
その後 パト念願の 新幹線! で東京へ。
新幹線よろこんでいて よかった。
東京では新世界というとこで田島さんたちとライブでした。いとこや ベルリンのともだちたちがきてくれました。 たのしかったな。
東京で泊まったとこは駅からまあまあ距離があって イマイチだった、、
しかも雨で寒くて。晴れてたら印象もちがったであろう。
わたしが東京いくのは 友だちに会うためや 自分のライブ、それからついでに美術館とかにいくくらいだったから まじで東京のことよく知らずみんなにもなにも教えられなかった。うちらがサウンドチェックとかしてるうちに みんなは観光いってきたみたい。

東京は2日くらいの滞在で大阪に戻りました。

そして翌日に ベルリンにもどる という 強行スケジュール。

でもみんな日本すごくきにいったみたい。 
とくにパトは その後も ときどき日本でのことを思い出す。また行きたい。ともらしております。

よかった。

コンビニや、どこでもトイレがキレイだっていうことがやっぱみんなよかったみたい。

わたしは 日本に行く数週間前?くらいに 怖い夢を見て 肉を食べることをやめてるんだけど、(壁一面に牛や豚の生首、 地面にも血肉がとびちり、そして みんな 涙を流し鳴きながらこちらをみてるという 衝撃的な夢、その後FBで だれかが貼ってた 閉じ込められてた牛たちが外にでて うれしくてジャンプしてる映像 をみて ああ 生きている、と思い、 肉をたべることに抵抗をもってしまった。 でも魚は食べられる。
おかしなものです。魚も野菜もいきてるのにね)
日本では選択肢がすごい狭まるということ。
日本、肉ばっかじゃないか!
日本のベジタリアンとか ヴィーガンの人ってどうやってすごしてるんだ。すごく生きにくい。自炊ばっかりになるのかな
ベルリンならほぼかならず ベジタリアン用の選択があるのに。

でもてんぷらや、うどんなど美味しいものも食べたし満足でした。

次はいつかな〜 わたしは 毎年行きたい。 だって 姪っ子がどんどん大きくなってしまう!


日本の旅 2

滞在したのは10月の18〜30くらいだったんだけど、
夏みたいに暑くて よかった。 金木犀もいい匂いだった。

大阪に一週間滞在、そのあいだに、ムジカで結婚しますパーティーライブ(すごく楽しかった)、うちの実家にパトつれてったり 母の誕生日に食事にいったり、ふつうに梅田あたりをうろうろしたり、髪の毛を切りに行ったり。
あとみっこくんのミセストライアングルにいったり。
それから神戸の香山さんの店にも。友達にもたくさんあえてよかった。

ここで 大阪きてんのに 京都いかんのかい! とわたしは何度もいいました。
でも 京都にはさほど興味をしめさず、普通のわたしの生活のほうに興味があるようでした。

ベルリンかえって 他の友だちに え 大阪いったのに京都いってないの?ていわれてたけど、案の定。 わたしもそう思いますもの。

そして一同は広島へ。 おねえちゃんの赤ちゃん、そして 家族集合です。
パトと家族があい、そして 結婚してもいいかと父に尋ねるという一大イベント。
パトは日本語できないし 父はドイツ語できないので(あたりまえ)英語で。
父が英語まあまあ分かる人でよかった。

一大イベントは難なくクリア。そして 家族写真を 写真スタジオでとってもらいました。

翌日は宮島、そして 尾道へ。

日本の旅 1

前日よりみんなうちに集合して いざ大阪へ!
フィンエアーです。ヘルシンキ乗り換え。フライトの時間が短くて良いんだけどわたしはあんまりフィンエアー派じゃない。なんか狭い感じがするし、なにより映画の種類がすくない。いつもなんか エコノミープロみたな 普通のエコノミーよりはすこし広いですよみたいなチケットだけど それでも狭い。わたしが狭いと感じるんだから慎重が180くらいあるナディンなんか ぎゅうぎゅうだよ足が。食事もぜんぜんおいしくない。
文句ばっか入り言ってるけどかなりの確率でフィンエアーを使わせていただいております。(安い時期が重なる)ありがとうございます。
さて ヘルシンキの空港でみんなでわいわい過ごし、それでも飛行機が怖いナディンとビーネは半ばパニックだけど、薬飲んで落ち着いて ぼーっとして乗ってました。でも離着陸のときは泣いてた、怖くて。 しかも今回みんなくっついた席とれなくて バラバラ。。なんでなんだろ、やっぱ安いチケットだからかな、時間通りにオンラインチェックインしても席取れない。
まあいいや。

さて 日本到着! ここから私のオーガナイズ力が試されます。
まず、お金。 大金をもちあるきたくないし、こっちの(ドイツ)のクレジット付きの銀行のカードで日本のATMで下ろすというふうにしました。
みんな徐々にいろいろ覚えていきました。
(みんな日本どころか ヨーロッパ以外初めてのレベル)
そして 自販機で水を買えないというしまつ。水がのみたいのに 水だと思って買った飲み物は水じゃなかったという。(スポーツドリンクなどまちがえてかってました)
いわゆる民泊というやつで借りた住居でみんなで滞在したんですが なかなかよかったです。
ホテルより安くてホステルより安心だし、自分たちだけの家があるのは良かった。
コンビニでキャイキャイなにか買ったり 日本のふつうの生活をたのしみました。


2016年10月17日月曜日

寒さましておる

ベルリンはもう秋通り越して冬じゃないかっていう寒さになっております。
あしたの飛行機で日本へ! 日本はまだ23度とかあると家族が言っていて、たのしみ!

自分なりの工夫をし、自分の作業用机(前にU夫妻にわたしのほしいサイズで作ってもらった)を使いこたつ的なものをつくってみた。
といってもただ、フリースみたいな毛布をかぶせて 机の足に布をむすびつけ ハンモックみたいにして そこに湯たんぽをおくというシステム。
。。。まだ改良の余地がありそうです。 毛布で暖かい空気が逃げないようにしないといけない。 ヒーターを中にいれてみたらすぐ暖かくなったけど ヒーターは電気代たかくなるし、熱くなって毛布とかが燃えやしないかと不安なので 湯たんぽです。
暖かい空気は上昇するということで 地べたに湯たんぽをおくべきなのか。
とにかく 下の方まで垂れ下がるレベルの大きさの毛布にしないといけないな。

姪っ子へのプレゼントを(たくさん)たずさえて 明日から日本!
36時間まえからオンラインチェックインできるとかいてあったのに昨日の段階でできず、 今朝になってやってみたら 席が空いてない! みんな一緒に座れない!

今回わたし、ぱと なでぃん、びーね、てーどらい(びーねとてーどらいはカップル)(なでぃんとパトは地元のふるいともだち)(なでぃんとびーねは仲の良いともだち) という5人でいきます。全員わたしとも面識あるので(てーどらいのことはあまり知らないがいい人そう)気楽な旅です。 ただ! なでぃんとびーねが すごく飛行機を恐れている。だから、 その2人を一人で座らせる訳にはいかない。
ということで ぱととなでぃん、びーねとてーどらいを一緒に座らせて わたしはひとり、、。私は一人で乗り慣れてるので 一人で座ることにしました。、
なでぃんもわたしより 昔からなかのいいパトが近くに居たほうがまだましだろうと判断しました。 さてどうなることやら。

ちなみに、わたしこのまえすごく奇妙で怖い夢をみてから それを思い出し、肉が食べづらくなっていて 避けております。日本で肉を避けていけるかな、日本やたら肉メニューだらけだと感じてるんだけど、、。機内食は一応 ベジタリアンのにしてみました。 いつになったらたべれるようになるだろうか、、。ぱとが日本で餃子たべるのたのしみにしてるからそこでたべてみるかな。

いろいろ珍道中になりそうな予感大です。




2016年10月5日水曜日

衣類を食べる虫との戦い3

わたしもパトもとにかく モノが多い。そしてそれらを飾りたがる性分でして ご想像どおり ごちゃごちゃです。家。さらに今月日本にかえるときに 自分の荷物を実家からこちらにもってこなくてはいけないこともあり 荷物を入れるところを確保しなくてはいけない、 また、
11月にわが妹が来ることも有り、ひとつのへやをお客さんが来たときに泊まれるようにしよう、そして各部屋いらないものを処分して快適に使用したいという試み プラス 虫との決別のために連日大掃除の日々でした。

シンプルとは程遠い空間です。
服もフリマに出すのがいいんだろうけどその労力を考えて(要はめんどくさい)ふつうに処分することに。
ドイツは(といってもほかの地域知らないから ベルリンでは)道に ガラスを捨てる用のコンテナ(色わけされていて リサイクルされる)や洋服を回収するコンテナがあります。だから そこに入れます。ただ捨てるだけじゃないのがいいところだなとおもいます。

大掃除の甲斐もあってか モッテンの姿はほぼみなくなりました。
ただ、寒くなったから姿をかくしていて また暖かくなったら発生するんではないかとわたしは疑っております。 とりあえずまあいまいなくなったから 良しとしよう。
ネットで虫をかうまでは至らなかったです。
カーペットも捨てちゃったからかわないと、、さむい! 
1階なもんで 地下からの寒さが直に伝わってくる!

あとは ソファーかベッドと、タンスを買いたい。 あと そのうち冷蔵庫もほしい。
ちいさい 冷蔵庫で古いので冷凍庫部分こわれてるうえに ブーーーンとうるさい。
まあでもそれは最後だな〜
お金でてくばっかだ〜



2016年10月1日土曜日

衣類を食べる虫との戦い 2

罠をしかけた翌日
罠にはそんなにつかまってなかった。 いやつかまっていたけど 3つ4つ仕掛けて、ひとつにつき、3〜5匹程度。 もっといるはずだ!こんなもんじゃなかった 飛び交ってた奴らは!
なんか罠にはオスしかかからないみたいです。(なんとかフェロモンみたいなのを発してるのかな、罠。ちなみに 罠は三角形に折りたたんで置くやつで(壁に貼ることも可能) 内側がベトベトのなんとかホイホイてきなやつです)
我々は意を決し、まずベッドから徹底的に掃除マットレスの下のすのこも拭いて やつらが嫌うというにおいのアロマオイルをふきかけて、 マットレスは両面ドライヤーで念入りに熱をあたえた。(気休めかもしれませんけど、、)
そして絨毯だ! 絨毯を剥がすと、、 いた! いたよ!やつら!ここに住んでたのか!もう絨毯ごと丸めてポイ!
その後床を徹底的に掃除機かけて雑巾プラス洗剤で二度拭き、すっきりしました。
それでもやつらは 少しいる。

その後クッションやらカバーやら 全部熱湯洗濯。乾いたら速攻布団圧縮袋にイン!
(なんとなく虫も空気がないと行きていけないとおもってるんだけど どうなんだろうか実際)(もし空気がなくても行きていけるとするとわたしはもっと虫のことを恐れきらいになるだろう)
他の部屋も順次掃除し こんな隠れるような場所がたくさんある古い家で全滅させるのは不可能に近いだろうけど 少しづつやっていくしかあるまい、、

ちなみにいましらべたけど バルサン持ち込めないみたいです 飛行機に。
機内持ち込みはもちろん、スーツケースに入れてもだめみたい
毒物的なやつだから。
地道にやるしかないみたいです。


2016年9月26日月曜日

衣類を食べる虫との戦い 

日本にもいる おそらく イガとよばれるちっこい蛾が大量に我が家に発生した。
したっていうか いまなお発生しております。
前にも居て、それは全部やっつけたとおもってたんだけどそんな甘くないですね。

こちらには バルサンのようなものもないし、どうしたもんかとパトと各自ネットでしらべたところ、
高温に弱い(こちらの洗濯機は普通温度設定ができるようになってる)ので、高温で洗えば服にうみつけられてるかもしれない卵もやっつけられる)ことや、罠をしかけることなど情報を得ました。
わたしはもう 日本かえるから バルサン買ってきて炊いたらいいんじゃないかともおもうけど、はたして 持ち込めるんだろうか、ドイツに。そしてこっちで使っていいんだろうか。
そのあいだ植物はどこにおけばいいのだろうか、、(ベランダがない)
パトがドイツのサイトから得た情報によると、 なんとかっていう虫が居て、その虫はとても小さく、人間や植物に興味を示さないけど、蛾の卵を餌とする虫らしく、ネットで モッテン用(蛾の複数形が モッテン)に売ってるとのこと。
カードみたいなふうになっててその間に虫がはさまれてるから見ないでそのまま設置できるらしい。
それが多分 最適だと思われる。
ただ値段がちょっと高い。
あとドライヤーの熱でだいたいやっつけられるらしい。
それと罠をしかける(ドラッグストアにうってる)

うちは床が板じゃなくてなんていうかビニールっていうかそういう素材のやつで、冬場寒すぎるから絨毯をひいてます。その絨毯も奴らの餌になるので もう捨てようとおもってます。(見た目からしてけっこういいやつっぽいけどもう古い)あと ベットは床にすのこひいて そのうえにマットレスをおいてる状態のベットなんだけど マットレスもやられてるかもしれないから 捨てようかという話に、、

くそう!やつらのせいでお金がどんどんでてく! 

とりあえず さっき罠をかってきました。
罠設置した瞬間どこからともなく やつらが集合してきて
きゃあ!!!っていって 部屋を締め切り逃げました。

どうなるんだろう、、、 

とにかくなんとかしたい。まじで。



フリマのこと

パトの妹がこの一ヶ月泊まりに来ていて日曜だしと、みんなでちょっと遠くのフリマにいくことに。
以前から結構気に入っているシェーネベルクにあるフリマ。
でももうなんだか うんざりしてきた。
個人の人たちがやってるのならいいんだけど トルコ人とかがやってるプロのフリマ業者はもう、 日本人のわたしが いくらか聞くとすぐ 20ユーロとか 15ユーロとかふっかけてくる。
それがもううんざりする。
は?15?っていって 返そうとすると じゃあ5ユーロとかいってきて 
さっきの10どこいったよ! なんだったんだよその差額10ユーロ ばっかやろう!とおもって よく考えたら5ユーロくらいは適正かもしれないけどこちらはもうやる気失ってるので5?ないわ っていうと、 それ以下は無理、品物戻せ とか言われて 余計に腹が立つ。向こうも騙せなくて いらついてるんだろう。そうは行くかってんだ!!!買うもんか!

私が選んだやつなら だいたいはじめに5ユーロっていわれるだろうけどそれを3〜4.5くらには値切れそうなやつだ。 そういうのがもううんざりしてきて、 フリマもめんどくさいなっておもうようになってきた。
個人がやってるやつならぜんぜんいいんだけど もうソシアルラーデンだけでいいかなって最近おもってきた。
日本人のみなさん、観光に行って フリマでだいたいのもの20ユーロとか15ユーロっていわれるとおもうけどそれ 何も知らないと思ってふっかけられてるだけですよ。
ほんとにちゃんとしたメーカーのいいものを買うならもっとするか、それくらいかもしれないけど なんでもないような皿とかコップとか そういうので 15とかいってくるのはだいたいカモにされてるだけです。だいたい 1ユーロとかでも手に入るようなものです。(モノによりますけどもちろん)
フリマ行くだけで腹が立ってしまった。
楽しみにいったのに。




2016年9月20日火曜日

ビザのこと

よかった、、 すごく親切な人だった〜
外人局。
いわれた書類全部もっていったんだけど、その前にまず言わなきゃいけないことが有るんですけど、 わたし結婚するんでビザを変えたいんです、っていったら、
そしたら わあ!すてきじゃない!でもとりあえずまずこっちを見よう、
ともってった書類見て、 幾つか質問されたんだけど、結局、稼ぎが少なすぎてこれじゃフリーランス延長できないわねっつって
11月の予定取ってくれて、そのうえこの紙に記入して、これとこれをもってきてね。と記入用紙をプリントしてくれた。
仮ビザを12月末まで伸ばしてくれて じゃあまた11月にね!良い日を。とあっさり終了! 
次回予約の日にちと時間までこちらに訊いてきてくれた。いままで 予約なんかとれない 自分でとれ、並べと言われたこと数回、 予約取れるとしても日時はむこうが指定、それ以外は無理。とか あと仮ビザ延長する度わたし20ユーロはらわされてたけど(わたしの記憶では)、本来そんなの払わなくてよかったらしい! 仮ビザの延長なら払わなくていいんだ。 向こうが筋の通らないこと言うから、こちらが強い態度で出てなんとか仮ビザとったときなんかパスポートをぽいって投げて返されたことすらあったのに!
なんて親切なひとなんだ! と(よく考えたら普通のことだとおもうけど、 役所だし)
感動しました。

稼ぎについては いろいろ周りから耳にしたことによると、みんな多めに書いてるとかないとか。金額を。その分税金を多く払わなくてはいけないけど。 わたしはそれをするのを忘れていた。 
でももうういいや、ほかのビザにかわるから。
そして 次回持ってくるもののなかに、別にドイツ語のテストなんか書いてなかった。
もしかしたら 日本に住んでていきなりこっちに来る人用?なのか 変わったのか、今回自分で全部ドイツ語で対応してたからいらなかったのか、それともベルリンは違うのかわからないけど、私がもらったやつでは、
自分のパスポート、 相手のIDカードもしくはパスポート、
結婚したという証明の紙、記入した書類、証明写真、お金(40ユーロ)、相手の新しい給料明細、てかいてあった。
それを次回もっていけばいいとのこと。

すんなりいくことを願う。

ちなみに、ついでに書いておきます。ベルリンで、結婚する場合。
standesamtという役所にまず行って、何が必要か訊いてきます。
それでわたしたちは、
婚姻要件具備証明書(日本で独身ですという証明) 
戸籍(日本で家族等に代理でとってもらう。これを翻訳し、日本大使館に持っていきドイツ語の出生証明書みたいのをつくってもらう)、
相手の出生証明書、
あとお金120ユーロ。
もってこいといわてないけど 母がついでだからととってきておくってくれた アポスティーユという日本の法務局かなんかが発行してくれる証明書(強い力をもっている)ももっていきました。
だいたいそんなもんだった気がします。 ただ、ほかの地域(同じベルリン内)で結婚しようとしてる子が居て、その人の話ではもっとややこしかった。 金額もぜんぜんちがった。200くらいといってた。
わたしは 戸籍を自分で翻訳し、それを大使館にもっていったんですが、その子は 自分でやってはいけない。認定された翻訳者に翻訳を頼まないと認められない、といわれたそうです。なんだか過去に自分で翻訳したけどまちがえてた日本人が居たとかでそれでだめなんだといわれたらしい。  だからまず 直接行って何がいるかきいてきたほうがいいです。自分の住んでる地域のstandesamtに行きます。

とにかく書類を揃え、sdandesamtに持っていき、最終的に入籍する日にちを決めます。
希望の日に予約があいてるとは限りませんが、だいたい自分できめられるぽいです。
こちらでは セレモニーといって、小さい式を役所であげます。
そこに人を呼べるしくみです。 神父さんだか牧師さんを呼ぶこともできるみたいです。
わたしたちは別に宗教的なのはいらないです、と選択しました。
でも やっぱ必要っておもったら 2時間まえくらいに言ってくれたら用意できるから、みたいに軽い感じで言ってた。
そこでなんか 通訳が必要かな?いらないわよね?と決められたけど 必要な人は通訳いります!て選択できるみたいです。 わかんなくてもヤーヤーいっときゃいいんだっていわれました。(ヤー=ドイツ語で はい )
両親呼ぶ?椅子何個くらいいる?指輪の交換などもする?どうする?入場の曲は用意してね!となんか あ ほんとに結婚式みたいなことをするんだ とそこでしりました。
お金特にかからなそうです。 払った120(120ユーロは 感覚で言うと1万2000円 正式に換算すると1万5000円くらいかな?、多分)に含まれてるのかもしれないけど。セレモニーをあげるstandesamtは自分の住んでる地域のじゃなくてもいいらしいです。

もともと結婚式は上げるつもりなかったから ラッキーです。(ものすごい高いとおもってたし、べつにいらないと思ってた。)(彼の母が、なんでふたばが 結婚式やりたいっていわないのかわかった!グーグルでしらべたら 日本の結婚式は世界で一番高いみたい!そりゃやりたくないわねといっていたらしい)
親に借りたりしなきゃならないほど高いお金払ってまで、きなれない服着た自分たちの姿を見せつける必要はないとおもってたので。(しかし友人の結婚式は喜んで参加、そして 美しい姿をみて感動してだれよりも泣くというパターン)でもなんか式みたいなのはしたほうが心がひきしまるよってきいてたので ちょうどいいです。
(結婚パーティーはします。ライブパーティーを。)
話がそれましたが、 そういうセレモニーがあるみたいです。

あとは 名字は変えるかとか いろいろ項目がかかれた書類にサインして とりあえず終了です。名字かえなくてもオッケーです ドイツは。
でもわたしは変えます。 中山残すか どうしようかな、とおもってたら 母が思い切ってかえたほうがおもしろいといってくれたので 変えることにしました。

そもそも、彼とうちの両親は一度も会ったことがないです。 
それなのに結婚を認め書類まで取り寄せて協力してくれております。 感謝以外の何ものでもないです。
国際結婚と聞くだけで だめだという親もいるとか。わたしにはその意味がまったくわからないです。何がどうだめなのかほんとに意味がわからない。
でもやはり、一応結婚前に家族に会わせなくては わたしの気がおさまらないので 10月に彼を連れて日本にいくことにしています。
 どうしても両親が反対するなら 結婚はとりやめられるし。(ビザどうなるんだ)でも会っても反対しないとわかっているから こうやって進められました。

両親も私を信頼してくれているんだなと感じました。
いままでの家族との関わり方がこういうときに活きてくるんだなと思いました。







2016年9月19日月曜日

急に秋

ベルリンは昨日くらいから急に秋になった。
風がつめたくて 空が高い。陽はまだ暖かい。
きもちのよい天気です。
金曜にシュニックのライブがあって それはリリースパーティーと称してるのだけど いままだレコーディング中です。

でも確実に日本へは持っていけるので楽しみです。
10月にまた日本へ行きます。
シュニックシュナックライブが大阪と東京であります。
またこちらでもお知らせします。

はああああ、 憂鬱!!なにがかっていったら、明日外人局!
ビザの更新。前回4月に行ったときは書類が足りないと言われ(全部もっていったのに もってくるもののとこに書いてない書類をもってこいと言われた)、あと保険を延長しないとビザは出せないと言われた。(事前に保険会社に問い合わせて延長したいといったけど、残りが十分なほどあるので、まだ延長できない、残り半年以下にならないと延長できないと言われた。そのことを外人局にいっても だめ、延長しろの一点張り)(保険も私と同じ残り日数でビザを3年とか余裕でもらえたひとも何人もいるし、書類が全部そろってなくてもビザを発行してくれる人もいる。ほんとに、ほんとに、全部もっていっても担当者次第で難癖つけられてすぐに出さないパターンもある。ほんとにいやだ。)
ということで 行かなきゃいけないんだけど、
ほかの書類はいいとして、保険が私の保険が5年以上同じのつかってるからかなんかで 種類を変えなきゃいけないといわれた。 
種類変えたらいいんだろうけど、もうもともとわたしたち結婚しようとおもってたので、これを機に結婚することに向けて本格的に動きました。
保険は彼の扶養家族に入るということにしたら 良い保険が低価格、もしくはお金払わないでも受けられる。
でもそのためには フリーランスをやめなきゃいけないっぽいです。 稼ぎが一定額以下でなければいけない。(もし多いならその分保険料もあがる)
フリーランスでいるなら 稼ぎを多くして税金できるだけ払っていかないと 延長がむずかしくなってくる。
(もちろんそうじゃない人もいっぱいいます。 外人局はほんとに、人次第、運次第)

明日その旨をつたえ、 ちがうビザに変えてもらう方向にもっていかなきゃいけない。
それがもう憂鬱でしかたない。
わたしは毎回ビザ運がわるく、何度も外人局にいくはめになっているので 心が重いです。
でも結婚のための書類は全部あつめて、すでに役所に提出し、入籍する日にちを予約してその正式な紙ももらいました。
保険会社にも通達済みで、あとは結婚後、正式に申し込むだけです。
予測ではまた仮ビザをもらい 結婚後もう一度外人局に出向くんではないかとおもってるんですが、どうなるのか。
ネットで見る限り 配偶者ビザにはドイツ語能力を証明するテスト(A1=基礎の基礎)を受けないといけないみたいなことかいてあった。 授業はB2までたしか受けたけどテストなんか受けてないな。 めんどくさいことがまだつづくのか。
とりあえず早く明日がおわってほしい。

それほどに外人局が憂鬱だ。




2016年9月12日月曜日

帰宅

ウイーンからプラハ経由で合計9時間、、
4時間プラハまで、1時間待ち、プラハから4〜5時間 でベルリン
列車はそんなきらいじゃないんだけど、やはり日本で育ったというのが大きいのか、不満が多すぎる。。
自分が小さい人間なんだと思うけど 逆になんでみんなこんなんで我慢してるんだろうと思う。

プラハではぎりぎりまででない 何番線でまてという表示、やっとでてみんな急いでそこまでいって、(けっこうひろい)せっまい入り口 且つ高い階段を重い荷物引き上げて乗って、
6人のボックス席で、自分たちの予約した席見つけたけどすでにだれかすわってるから そのひとたちにまず そこ予約してるんだけどっていって なんだよみたいなかおで見られ追い出すところからはじまり
隣の男が貧乏ゆすりしながら2時間以上ずっと初対面であろうほかの乗客(わたしはその女性が聞き上手だと感じた)としゃべり続けていて 一個席開いてるから私の
となりからもうひとつずれてくれればいいのに その女性と仲良くなりたいんであろう(その女性がトイレ行くたびにその人もいっしょについていってた)(どこから来たのかとかいう話をさいしょにしてたから 初対面と思われる) 
その女性の前の席から動かないし、暑いしでもう ため息が出そうだった。
しかしこうやって書いてみても わたしのこころが 荒んでいるなというきがしてくる。。。
パトは頭がいたいとぐったりしてた。
暑い狭い室内でのマシンガントークがきびしかったから フラカンを聴いてやりすごした。
ライブにきてるから 暑いんだ ここはライブ会場だと言い聞かせたけど ライブ会場は直射日光で攻撃してこない。
彼がおりたあと パトにこっそり やっと降りた!3時間くらいノンストップだったね!ていったら、
ここは6人席だからそういうの当たり前だといわれ それにもムッとした。

むっとした自分にも腹が立った。 暑いからだきっと、、車内が、、サウナみたいだから、、
冷房フルにしてるけど よっわい冷風がそよいでるだけ、、
で違う駅からカップル的な人らがのってきたけど すごく静か。 いま車内でこれをかいているんだけど キーボード叩く音をできるだけ出さないように苦労しているほど。
さっきより随分快適になった。

日本の新幹線を懐かしく思った。日本にも騒いでる人はいるけど、まず新幹線の車内で サウナみたいに暑い、、苦しい、、、と思ったことはない。寒いことはあるけどね、、、

さきほどのように これが基盤でこがあたりまえだと生きてきた人は これ以上を望まないんだな。荷物の配達の件もそうだけど、日本のようなサービスの国、いきとどいた清潔が当たり前で育ってきた私には くそが!としかおもえない。ただ、人々は助けてくれる。重い荷物をのせるのを手伝うし、言葉がわからず困ってる人がいたら 英語で通訳してあげたり、そういう場面は何度も見た。(もちろんなにもしないひともわんさかいる)それをみならって わたしも気づいた時にはできるだけ手伝うようにしてる。

でもこのまえ 考えがまとまらないまま書いた、国と人のこと、 やはりおおきな国民性というのはあるのかもなあ、と考えなおした。
たとえばサービスのかけらもないような対応でもそれが当たり前と思えるところとか、
逆に、ありえんとおもうところとか。
まあそれも 人次第かもな、日本人でも こんな暑い臭い車内でも全然構わんていう人も絶対いるだろうし。まだまだ 考えはまとまらないな。

大胆に愚痴りました。いつだって ないものねだりだ。
反省。

話はかわるけど 行きの車内で景色変わらんなとおもってたけど プラハ経由にして チェコからドイツ入ったら やっぱかわった。家の頑丈さがだいぶ違うように見えた。
そしてありふれたドイツ語の看板をみて、あーーかえってきた!と安心した。
大阪に帰った時に 梅田あたりの建物をみて あ~~~~!かえってきた!!!と安心するのと同じような気持ちだった。ベルリンの景色をみたらもっと そうおもうんだろうな!

はあ もっとおおらかになりたい。そうしたらもっといろいろらくなのにな。
---------------
さて 自宅にかえってきました。 シャワーも浴びて清潔! ああ やっぱかえるとほっとするな。

2016年9月11日日曜日

ウィーンみっかめ

今日は昼過ぎからちょっとまちを散策、その後なんかよくわかんないけど ポッドキャストの収録にいきました。フローの知り合いがやってるやつで 名前をいわず演奏します。
アーティストナンバーの数字がそれぞれにつけられて、誰がやってるかは明かさないらしいです。
数曲演奏しました。 その住居がすごいいいとこだった、、 古いんだけど ワンフロアぶちぬきでひろくて、ものがあんまりなくて、なんていうか屋上のようなベランダみたいなぶぶんがあって お風呂もかっこいいつくりになってました。
こんな生活してるひとがいるんだ、、、となんだか遠い世界にいるような、、収録が終わったらいちごと人参をミキサーにかけて おいしいジュースを振る舞われました。
その後また フローとパトの共通のミュージシャン友人の家に庭でメロンとレモネードでも飲もうと誘われてたので行きました。
そこもまたいい家だった、アパートなんだけど作りがおもしろくて、ベルリンではあまりみないつくりでした。だいたいベルリンでは 入口入って中庭が一個あってそれをかこむかたちで住居の建物(マンションみたいな)がたってるんだけど、 入口はいったら道がつづいてて 両サイドに公園みたいなかんじになってて なんていっていいかわかんないけど 中庭部分がでかい。その中庭でレモネードのんでメロンたべました。
かれこれ一週間でそろそろ私の頭のなかパンクしかけてました。 ドイツ語がめんどくさくなってるという意味です。みんながしゃべるドイツ語を処理するのにもう疲れた状況。喋ってる内容は どこのアイス屋のなんていう味がおいしいとか、こどものころあそんでたおもちゃのはなしとか そういうことなんだけど、そこに割り行って話しかける話題もなけりゃ気力そして 語学力(勇気)もない。後半もう ああ帰りてえなあ と思ってました。
すごい親切で いい人達で好きなんだけど 心底 あ〜はよかえりてえ めんどくせえ〜 という思いで溢れかえっておりました。
帰ったとしても パトとペーターだから まだドイツ語だよ! 
パトのはもうなれたけど ペーターは早口だからむずかしいよ え?え?てなんかいも聞き直してるよめんどくさい。おまけにいらん冗談ばっかりいうもんだから それに対するリアクションもめんどくさい。普段ならぜんぜんいいんだけど 疲れてる時はもう 聞こえないふりしておりました。 
もっといろいろお店とか見たかったけど 今回は仕方ない。パトも久しぶりの友達にあってゆっくりしたかったろうし。
近所で食べるとこ探して そしたらなんか セルビア系の料理の店が唯一ましそうだったからそこにしました。 肉料理の店でものすんごいボリュームの肉を食べました。

朝ごはん以来まともなものたべてなかったので(ポッドキャストスタジオでもらった飲み物と メロンだけ)エネルギー補給にはちょうどよかったけど ものすごい量だった。
朝ごはんに一昨日スーパーで買っておいた チーズ入りのソーセージを焼いて食べました。(肉ばっかり!)それがすごいおいしい。パトが オーストライヒ(オーストリアのドイツ語読み)にはチーズがはいったケーゼクライナーっていうソーセージがあるんだぜつってたので ぜひたべてみたかった。 ベルリンでけっこうさがしてたけどみつけられず 念願のソーセージでした。 
さて あしたは朝からプラハ経由で9時間かけてベルリンかえります。
は〜 家のちゃんとしたシャワーに入りたい。もっというなら 日本のお風呂に入りたい。それはもう お金持ちになって日本風のお風呂のあるとこに引っ越すか特別に作るかしないとだめだけど。。(こっちのは バスタブのなかでシャワー浴びるタイプ)(洗い場がほしい)(でも前のバスタブすらなかったただのシャワーにくらべれば 随分いいといえる)
来月の日本たのしみだけど4人ドイツ人つれてくのが すでに あ〜きっとつかれるんだろうな と思っています。でもまあ 楽しみのほうが大きいかな。

チーズ入りのソーセージ ケーゼクライナー

街にあるおもちゃ屋サンのウインドウで発見したお面
耳のかなに家!斬新!


2016年9月10日土曜日

ウィーンライブ

昨日はウィーンでシュニックシュナックのライブでした。
AUというバー(カフェ)でうしろがライブやDJができるスペースになってるとこで、すごくいい感じのとこだった。グランがPAとして働いてるところみたい。
昼間にパトとグラン(グランというのは芸名?で 実際はフローリアン、アダ名はフロー)でちょっとしたウィーン観光をした(ウィーンと書くことにする いちいち英字にするのがめんどくさい)
10年前に母と来たときは 小雨でどんよりした天気だった記憶だけど今日は快晴ですごいあつかった。フローおすすめのオーストリア料理のお店でシュニッツェルをたべました。シュニッツェルは本来 子牛の肉でつくるのが本場モンらしいんだけど、わたしはできれば子牛は食べたくないので 豚のやつにした。一緒じゃん、と思うでしょうが、(いきものの命をもらってることにはかわりない)でもやっぱりあかちゃんの肉だと思うと 食べられないです。知らなかったらたべちゃうんだろうけど。おいしかったし、雰囲気もすごくいいとこで あとで他のウィーンの人と話してて今日はあそこで食べたんだといったら あそこはすごいいいと彼女も言っていた。
なまえわすれちったな、、値段も高くなかったしもしウィーンでその店に行きたいときはきいてください。全力で思い出す努力をします。

その後旅行者がわんさかいるエリアにいった。そこは私がおもってたウィーンってかんじ の景色でした。ヨーロッパのロマンちっくな感じ!ていうような。昔は王様がすんでて王様っていうか帝王みたいな言い方してたけど、いまは政治かなんかやってるという建物も、っか〜〜〜なにもここまでやんなくても!ていう豪華さだったし、ちかくのお店が立ち並ぶ通りも観光客でごったがえしていて これこれ!ていうかんじだった。

でも いまとめてもらってるとことか、ライブしたとことか、歩いてたらイメージとちがって なんか東の国感をすごく感じた。東欧というか、。でもときどきイタリアの路地っぽさも感じた。移民的な人々もたくさんいる。
わたしはそっちのほうが興味深さを感じるので 面白そうな街だとわくわくしました。
狭い路地がいっぱいあってボロ汚い。
だけど東欧っぽいボロ汚さのなかに 建物はやっぱり外装が凝っていて(壁に顔の彫り物とかがくっついてるタイプのやつや、やたら人の像がくっつけられてるやつ)一度ものすごい栄えてた国感が漂っていて、散歩がたのしかった。
ベルリンとちがって 爆弾がそんなに落とされなかったからだとフローが言っていた。落とされたのは落とされたけど量が違うと。そう思うと、ほんと戦争がにくったらしい。せっかく古くていいものも いろんな命といっしょに爆弾で焼いてしまうなんて。
こちらなんかほとんど地震もないから古い建物なんか残りたい放題だ。(もちろん他の色々な要因があってとりこわされたりするんだろうけども)

そういうことをおもった。

それからペーターを中央駅にむかえにいって合流、ライブの場所にむかった。
ペーターのおばあちゃんもトイレが別のとこにある家にすんでたらしい。昔ではそれがノーマルだとのこと。

さて ライブにはパトやフローの友達もたくさんきてくれてたのしかった。
ミュージシャンやDJで活躍してるひとたちもきてくれた。
ライブもいいのができたなとおもった。
お客さんの一人に、わたしの日本の友達iちゃんにそっくりなひとがいた。
顔はもちろんそんなににてないんだけど、ぜんたいから醸し出す空気が似てた。
彼女をみるたび iちゃんがそこにいるみたいで、 ああiちゃんがいる! とおもい、なんだかうれしさと(実際は違うのはもちろんわかってるので)あいたいなあ、と泣けてきて、何度か眼をそむけてしまったほど。にこにこしてみてくれていて、終わったらすごくよかった!といってくれたので、 あなた私の日本の親友にそっくりで、すごくうれしかったと伝えたら、彼女も それをきいてわたしもうれしい といってくれた。
そういうことをいうのも iちゃんだとおもった。
ほかのお客さんにカタマリみたいですっごく素敵といわれた。よくきくと、カタマリなんとかというプレイステーションのゲームで それでたくさんいろんなものがひっついてるやつっていうことだったんだけど、そのゲームやったことないけどその人が真剣にカタマリのことを素敵だといってくれてたので嬉しかった。
ほめられるのはやっぱ、嬉しいな。

私はといえば、風邪ぎみのこともあり、また、カフェインを摂り過ぎたんだと思うけど、ぐったりしてしまった。 
マテ茶をつかったジュースみたいな飲み物、は〜〜また名前忘れた!Mからはじまってたようなきがするんだけど、それを二本ものんで立ち寄ったトルコ料理屋ですげえ濃い紅茶をのんだからかもしれない。 Mからはじまるやつ おいしい。ベルリンでも売ったらいいのに。クラブマテが力がつよいのかな、といっても最近もっといろんなマテのがあるけど。
Mからはじまるやつは炭酸もはいってないし、レモンティーみたいだし あったらいいのにな。オーストリアのもんだと言ってた。
ライブとかいくと、私はお酒を飲まないから飲み物は決まって クラブマテ的なやつか、その他炭酸の飲み物のチョイスになってしまうんだけど。これがあるとうれしい。
ただ カフェインたっぷりみたいだから気をつけないといけない。
この前 疲れが取れなすぎてしんどかったから バイトのときにレッドブルのんで、クラブマテのんで、お客さんにまちがってつくった抹茶かなんかものんだから 一時すごくげんきになったんだけどその後 ぐったりした経験がある。カフェインあんまよくないんだろうなあ。 その辺りに気をつけ こちらにいるうちにもういちどあのMからはじまるやつを飲んでおこう。写真をとったから ベルリン帰ったらパソコンに取り込んで載せようここに。
今日はなんかポッドキャストの収録?みたいのに呼ばれてるのでそれに行く予定です。
もうちょっとこの街を散策したいな。そしてまたお母さんをつれてきたいな。こんどははりきっていろいろ説明できるようになってるであろう〜〜。
 あったあった!写真 makava だった。名前。








2016年9月9日金曜日

かぜぎみ

先週くらいにzzzのライブをしたあとくらいから あれ喉がいたいとなって、声だしすぎたかなとおもってたけどそれ、風邪だった。熱とかはなくて 鼻と咳。。止まらぬ。
そのままシュニックのツアーに突入、パトの実家に数日滞在してたんだけど、パト母がホメオパシーの咳に効くクーゲルヒェンをくれた。その前に咳止めシロップをかってなんとかしようとしてたんだけど できればホメオパシーのほうがよさそうだな、

鼻はなんとかなるけど 咳はやっぱ厳しい、ライブだと。どうにかとめないとな、、

そういえばミュンスターで感じた違和感、 だれもわたしに話しかけてこない、
わたしが風邪気味だったからか?咳き込んでたからか?それとも外国人だからか?
もしくはわたしにまったくだれも興味がなかったのか?
だれもっていうのは いっしょにツアーをしてるパトとペーター以外の ライブする店の人やお客さん。お客さんもたった5人だったけど、、なんとなく変だなとおもって ペーターやパトにだれもわたしに話しかけてこない、わたしが外国人だからかと詰め寄ったら おかしいな、学生の街だから 外国人のひといっぱいいるとおもうんだけど と困ってたけど。ミュンスターはそんなに外国人排除思想の人たちの街ではないとおもうけど と。 
たまたまだったんだろうけど、でもなんか嫌な気持ちだった。 ベルリンなら、わたしが ドイツ語わかろうが英語わかるまいが はなしかけてくる。 ビーレフェルトだって話しかけてくれた。

長くいると(といってもまだ6年目?多分)嫌なところもたくさんみえてくる。
最初はいいとこばかりみえてて、嫌なところは目をつぶってたか 外国だからフィルターでみてたんだろうけど そんなフィルターも効果を失いつつ有る。
今日も電車で ドイツ人のおっさんグループが乗り込んできて ビールを飲んで大声で騒いで、ほかにも乗客いるのわかってんのかよといってやりたかったけど 陽気にさわいでるだけだから 仕方ないな、とおもってやり過ごした。いらいらしながら。

よく、ドイツ人ってどんなの?てきかれるけど、 日本人ってどんなの?てきかれて そりゃ、いろいろな人がいるからとしか答えられないのと同じく、 やっぱいろんな人がいて、嫌なやつもわんさかいるということに 気づき始めている。
日本人はまじめでよく働いて 礼儀正しく静かで自己主張しない なんていうのが 典型的な日本人かもしれないけど わたしにはそんな友達居ない。わたしもそうじゃない。
そのうちどれかは当てはまってるけど 当てはまってない項目も有る。 あたりまえだ。
あたりまえなんだけど、 なんとなく頭のなかで、 なにジンはこんなかんじで、 なにジンはこんな感じというのをつくってしまっているようで、(それがすべていけない源なんだけど)前はドイツ人のイメージ、堅実、マナーをまもる、静か、みたいな、そんなのを勝手に頭に持ってたかもしれない。 
でも実際はそうじゃない、
 そういう人がたしかに多いのかもしれない、けど、いろんなひとがいる 。
その一言以外 ない。
そういことを体感として感じ始めてる。好きなとこもあれば嫌いなとこもある。

だから 人や国をすきになったり きらいになったりする理由に、何ジンだから、どこの国だからっていうのは 理由にはならないと思う。
ミュンスターがいやなんじゃなくて、ミュンスターで話してくれなかった人たちが なんか残念だった ということか。自分も履き違えないようにしないとな。
そもそも日本でもどこでも、 初対面の人と話をするのは苦手なので 別にいいんだった。
何が言いたいのかわかんないな。




ウイーン

さきほどのブログにもかいたけど、 いまウィーンにおります。
パトリックの友達で ミュージシャンでもある グランていう人のうちに我々は泊めてもらいます。
電車で10時間くらいかけてきたんだけど(ベルリンからではない、違う土地から来た)
10時間って 飛行機だったらほとんど日本つくじゃん!と思いました。

バスは断然安いんだけどちょっともう 体力がもたない、バス。 最近飛行機もほんとしんどいなと思い始めてるんだけど、移動がきつい、、
昨日信号が青のうちに渡りたいと10mくらい小走りしたんだけど、 走れない!
走り方がわからない! あれ どうやって走るんだっけって言う状態で、これはまずいぞ!本格的にまずいぞ!と思いました。
移動はよく自転車を使うんだけどだめだ、もっと 自力で動かないと!と強く感じました。そりゃふとるわけだ。
飛行機に耐えられなくなったら日本に帰れなくなる、ちょっと体力つけていかないといけないな。

話それたけど、電車でウイーンに (ウイーンなの、ウィーンなのどっちなんだかわかんないけどドイツ語ではヴィーン みたいにいってたとおもう。wienとかこう)
向かう景色を窓からみてたけど、ほっとんどかわんない、言葉もほとんど同じだし。
グランの言葉もときどき 聞き直さないとやっぱわかんない、けど聞き直したらわかるようにいってくれるし、わたしのドイツ語をちゃんと聴いてくれるいい人です。
パトも時々聞き直してるから、多分わからない時がたまにあるのかなと密かにおもってます。
グランのうちはふる〜いアパートで 石の螺旋階段みたいなのを上がっていってボロいけど雰囲気のある建物です。びっくりしたのが、トイレが 外(廊下)にある、
それは共同じゃなくて、いっこいっこ鍵があって自分のとこが決まってるとのこと。
これwienではふつうなのかときいたら ここが古いからだと、古いアパートはそうなってることがあるとのこと。
部屋もボロくそして汚いです。 散らかってるんじゃなくて 古汚い笑
殺風景で男の一人暮らし感がでてます。 靴で入るタイプのうちだった。(ほとんど友達のいえは 靴を脱ぐタイプ、靴ではいってもいいけど 基本脱ぐっていうかんじがほとんど)
スーパーにいったけど うってるものもドイツとほとんど変わらなくてふむう、という感じだった。でもまちから 山が見える。そういったらまわりが山でひくくなってるところにwienがあるんだといっていた、盆地ってことだろうか。

そして 暑い。ドイツ出るときは長袖に軽い上着はおってたけど、 ランニングでいけるレベル。
たまたまかな、それともちょっと南に位置してるからかな。

wienは10年以上前に母と2人、 初めて海外旅行にきたときに一日だけ寄った。
完全ふたりだけで右も左もわからず寄ったまち。日曜でお店なんかどこもやってなくて なんだよ〜ってなったまち。
今思えばフリマあっただろ!ていってあげたいけど当時はなにもわからなかった。
日曜お店がしまってることに驚いたくらいだから。 いまじゃ 日本かえって 日曜も店やってるんだって 言い聞かせないといけなくなった。(つい、日曜休みだから土曜のうちに買っとかないとなどと考えがち)

夕方ついて グランとパトと重い荷物運びこんだあと、スーパーいって近所のビアガーデンにいった。ビアガーデンといって ビルの屋上の食べ放題飲み放題を想像しては全然ちがう。ビアガーデンっていうか ビアガーテン(そういう発音)。庭的なとこに机と椅子がいっぱいあって 食事したりビールのんだりできる場所
わたしはあんまりおなかすいてなかったので、小腹空き用メニューにあった パンに豚肉(焼いてあってチャーシューくらいの薄さにきってある、でも冷たいやつ)とマスタード、ピクルス、それから西洋わさびがのってるやつをたのんだ。
西洋わさびがドイツのドイツ語とオーストリアのドイツ語が違った(のか、わたしがわかんなかっただけか)のでグランにきいて知った。
おいしかった。

パトとグランは本当に仲良く、ずっとうれしそうに 冗談ばっかりいって笑ってる。
いまもキッチンでずっと喋ってる。わたしは一足お先に部屋に戻った。
明日はライブ、たのしみだな。
ペーターも明日wienにつくとのこと。
写真がないのは、アイポッドを自宅にわすれるというヘマをやらかしたためです。
デジカメもってきたけど 線もってきてないから パソコンにいれられない。
パソコンはもってきたんですけど。

 荷物を運ぶフローとパト



 トイレ

窓から見える屋上の小庭 謎の植物がさいている



集客のこと

最近zzz(ツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲ)という リンダとわたしの バンドのライブを久しぶりにしました。なんかのイベントに呼んでもらってのライブでした。
リンダ5月から8月までフランスに帰ってたから すっごい久しぶりのライブ。
練習もたくさんしてさてライブ、だけど お客さんが少ない、、
ライブは楽しんででき、お客さんたちからよかったよとたくさん言ってもらえました。
そしていま シュニックシュナックのツアー中です。
ビーレフェルトっていう小さな町、それからすこし大きなミュンスターというまちでライブをしました。 またも、お客さんがすくない、、(ミュンスター、お客さん5人!宣伝不足だったとのことですが、宣伝だけのせいにしてはいけない) 
こっちにきて、お客さんを集めるということについて、どうしたら来てくれるんだろうと 考えるようになりました。
それと同時に、 自分はいかに、日本で恵まれていたか再度思うようになりました。
ベルリンなら友達がいるからある程度きてくれるけど、でもそれは友達だからであって、 友達にほかの用事があればこれないし、どうしても見たくて来てくれてるわけではない、いや見たいと思うから来てくれるんだろうけど、なんていっていいのか、)

こっちで宣伝をしてるかと顧みると、ほとんどしていない。 フェイスブックにかくだけ。
日本にいる時は 毎月チラシをつくっていたな、そしていろいろなとこに置いてもらってたっけ、それになにより、ジョジョさんや高野さん、ライブをする場所のみなさんのちからが大きかったな、と痛感しております。
もちろん国がちがえば、やり方もちがうから日本のやり方がそのまま通用するとは思わないけど、手始めにチラシをつくることにしました。

いまツアーの続きでウィーンにいて、 ドイツからウィーンの列車の中で チラシをかきました。 ベルリンにもどったら コピーしていろいろ置きに行ってみよう。
つづけることが大事だ、 
ブログも、、
どこかで誰かが見てくれているっていうのは なんだかやっぱりすごくうれしい。

あ、もちろん、 宣伝よりもなによりも 満足行く曲をつくることが先だってことは 承知しております。 
いままでソロでやってた感じとは違うかんじなので(はしゃいでいる系)このままでいいのかはわからないですけど、 ソロのだってこのままでいいのかわかんないままだったし、 とにかくやるのみです。

9月からバイトが少し減らせるみたいだし もっと音楽に時間をつかおう。
いや、いいわけだな、、ほんと、 



夏すっ飛ばし

かれこれ3ヶ月ぶりの更新、、 いつもわすれてしまう。。
夏になにをしていたか。 バイト三昧でした、、、
日本食屋さんのバイトをずっとつづけてるんだけど、8月はいろいろ人がたりなくて ずっとバイトでした、、、チーーーーン
大好きな7月はなにをしていただろうか
なにをしてたんだ、思い出せない。多分バイトだ。

ああ、でも8月で35さいになった。 え もうそんなになったのか、十分な大人だ、、
誕生日はパトリックと動物園にいきました。
天気もすごくよくていい一日だった。前はパンダがいたのに、いなくなってしまっていた。ゴリラを推してるようなかんじだった。

そんで恒例の焼き鳥ピクニック
もちろん焼き鳥なんかベルリンでは気軽に食べるようなもんじゃないので、(ほかのチキン料理は豊富 トルコ系とかのも)作ります。
トルコ系の肉屋にいくと、骨がとってあって なんか開いた鶏肉が買えます。どこの部分なんかわかんないけど どこだろ、胸肉っていうかそんなパサパサじゃない。どこかわかんないけど 鶏肉です。それを数キロかって小さく切ってネギと串にさす、
あと砂肝も買えるのでそれはスーパーで買います。magenみたいな名前でうってるやつです。magenって胃って言う意味だったとおもうけど あれはどうみても砂肝、 食べても砂肝。 私はそんなすきじゃないけど 作っていくと日本人の友達から喜ばれるのでいつも用意しています。 
友達の中ではveganの人ももちろんいるので 豆腐ものやきのこ類などもクシにさして 準備して いつものテンペルホフへ。
バーベキュー用の網(使い捨てで 炭もセットになってる奴がスーパーなどに売ってる)で焼いて食べます。
タレも適当に醤油と砂糖とかなんやかんや煮詰めて持って行きました。

今回でもう4回め。 毎年 来年はこうしたほうがいいなと勉強しながら終わります。
今度こそ、もうバーベキュー用の使い捨てじゃない網のやつを買おうかなとおもってます。 もし来年もするなら。
毎年 もう焼き鳥やんなくてふつうのピクニックでいいかな、、と思ってるんだけどなんとなくやってます。
前にもかいたかもしれないけど こちらの誕生日は 誕生日を迎える人が自分ですべて用意して人を招待します。だから誕生日はお金をけっこうつかいます。招待された人はちょっとしたプレゼントを持って顔を出しにやってきます。

ちょっとした豆知識でした。




2016年6月13日月曜日

さっかー

いまサッカーのオイローパマイスターシャフト(略してEM)(日本語でなんていうのかサッカー詳しくないのでしらない)
が行われていて、町はサッカーでもりあがっております。
ヨーロッパの各国代表チームが戦うのです。
昨日はドイツとウクライナの試合があり、パトはドイツ戦を応援したいとのことで楽しみにしていました。
朝はフリマいって、その後近くでコンサートがあったんでそれ(一日中やってて、わたしはゲストリストもらえたんで、観たり一回家帰ったりとかを数回繰り返してた)いったり、してたんですが、夜になり試合が始まると、うちはテレビがないもんで、
(けっこう友達みんなテレビ持ってない)(若者世代でテレビ持ってない人すごい多いとおもう。)(別にいらない)
近所のバーとかキオスクとか、レストランや、たてものの中庭なんかで、大型テレビやプロジェクターでサッカー中継するので、それにいきました。
サッカーの時期はテレビおいてない店はガラガラになることが多いっぽいです。
わたしは別にドイツを応援してるわけじゃないけど、面白そうだからとりあえず一緒に応援した。
心のはじっこで ウクライナがんばれ!と応援していた。 国がゴチャ付いてるぽいし、そういう国が勝てばいいなとおもったけど、 でも2−0でドイツが勝った。

パトからの情報では今年アイスランドが初出場だということで わたしは アイスランドを応援しようときめた。
ヨーロッパは世界でも強いチームがひしめいてるから勝ち進むのはけっこうたいへんなんだろうなと サッカー詳しくないながらも思っております。

近所のキオスクでおっさんたちと見るのはなんか楽しいです。歩道に椅子やビールケースだして座って。キオスクでかった飲み物のんで。

昔の日本の街頭テレビとかこういう感じだったんだろうな〜と思います。
ワールドカップのときもこういう感じだったな。

みんなサッカー好きだな。


2016年5月30日月曜日

わたぼこ こぶとり

そういえばこの季節 なんかの木から綿毛のかたまりがすげえ飛んでくる。
マルチーズになるんじゃないかっていうくらい 道の端っこで飛んできた綿毛がかたまってるのをよく見かけます。
いまも私の周りをふわふわとんでる。網戸とかしてないから(貼り付けるやつうってるんだけど)窓開けてたら入ってくる。
でもなんかそんなみんな気にしてなさそう。
アイスとか買って外でたべようもんならとんできてアイスについてくるけど まあ自然のもんだしべつに大丈夫かっていう気持ちになります。
すっごいついてきたらそれはちょっときもちわるいけど。

すっかり日中は半袖でもいける季節です。露出も増えるこの季節、、、

はあもうまたふとっちゃってぜんぜん痩せなくてこまる。
ふとってる自分を認めて前向きになればいいんだろうけど、まだまだそうはならない。
なんとか減らしたい気持ちがわきいでております。
身体が重いのを感じているし服がきつくなってるのも感じております。
でも歳のせいかまじで体重がへらない。
食べる量を減らしてもぷち断食しても数百グラムくらいしか変わらない。
腹筋してるけど 変わらない。
どうしたらいいんだよ!

なにか目標があったほうがいいだろうということで、
バイト先の丸みをおびた三人プラス店長でちょっとしたかけをしてるんだけど
うちらが1ヶ月強でひとり3kg落とせたら魚料理をごちそうしてくれるとのこと。
逆の場合は体重落とせなかった人が店長におごるという。

1ヶ月で3kgも落としたらいけないということくらいはわかってますが(ダイエット頭でっかちになっておる 知識だけは豊富)でも それも無理そうです。
7月1日に測定が有る。
5月中旬からはじまってるんだけどみんな減っても200gとか。増えたり減ったりの折れ線グラフをバイトの控室に書いております。

よっぽど血反吐のでるような運動と食事制限しないと痩せないのかな やだなそれは。







一週間日本

まえにフィンエアーの狭さに懲り懲りしたので違う航空会社のチケットにしました。
KLMはよく乗るのでKLMに。 前日にオンラインチェックインしようとしたら、あれ・・キャンセルされとる、、、なんで?!
メールを遡って探してみると、来てた、きてた。。 カードの支払がうまくできてなかったので、近日中にお金をふりこんでくださいと。
そのメールきてたの 1月。。
やっちまった! あわてて そのリンクに飛ぶとまだ支払えそうな雰囲気でてたので 即刻カードで支払ったものの しばらくまってもKLMのサイトではまだキャンセルのまま。
KLMはFBやツイッターから直接質問できるようだったので FBで質問するとけっこうはやく答えが帰ってきた。どうやらキャンセルされてるから振り込んでも無効とのこと。
やべえどうしよう じゃあどうすんだ振り込んだお金、、どこいくんだよ、
で チケット会社のほうにパトに電話してもらった。お金は返却されるとのことなので あわててもっかいチケットとりなおし。もう直接KLMのサイトから買った。5〜60ユーロ高くなったけどしかたない。はあ一安心 ラッキーな事に当初予定してたのと同じ便が取れた。
ドイツ語めんどくさくてもメールちゃんと読まなきゃいけないと身にしみました。

そんなこんなで無事日本へ。
KLMはそんな狭くなく隣もいなくてよかった。フィンエアーが狭いのかたまたま乗った機体が狭いやつだったのかわかんないけど(往復せまかった)こっちにしといてよかった。

いつも空港につくと湿気を感じる。帰ってきたな!という気持ちになります。

家族と過ごしたり、友達にあったりで充実した一週間を過ごしました。
メインのおタグの結婚式は感動しっぱなしで恥ずかしいくらい号泣しながら 人々の前で歌いました。恥ずかしや。。。
ムジカでは たのしくミクロムスのみなさまと(ほんとにおもしろすぎた)ライブができました。


一週間はやっぱみじかいな。 
でもなんだかんだ こないだ12月に帰ったし、今回5月でつぎ10月に帰る予定があるから すげー頻繁に帰ってます。豪族のレベル。










2016年5月13日金曜日

一時帰国します〜 20日ムジカでライブ!!

あの!親友のおたぐちが!結婚するんです!こんなことここに書いていいかわかんないけど めでたいからいいよね。
だから帰ります。結婚式です。
一週間滞在というハードスケジュールですが、
5月20日ムジカジャポニカでライブも組んでもらえて、 しかもミクロムス先輩たちとです!http://musicaja.info/schedule/post_459.html
たのしいのであそびにきてね!
18日に大阪ついて24日の便でかえります。



ノルトゼー

さて前回ギューターからベルリンにかえった一週間後くらい、またお出かけです。
パトのお母さんが60歳の誕生日をお祝いしたいということで、(こちら式だと 誕生日の人が自ら祝の場を用意する。)ノルトゼーというドイツ北にある海の近くの街
hooksiel(ホーKジLみたいによむ)に一ヶ月家を借りて(休日用に一軒家を貸し出すシステムがある)滞在してるということで、 お祝いにいってきました。
1周間!
電車を乗継ぎパトとパトの妹(Leipzigにすんでる)といってまいりました。
祝日と週末がかさなり絶好の行楽時期で電車をまつ人がたくさん 席を予約してない我らは座れないと判断。食堂車両にいきなんか軽く食べながら(おなかもへってたし)むかいました。いい方法です。3〜4€でサンドイッチでも食べながら席は快適じゃないけど座れるっていう。
いつもおもうけど ベルリンから一歩でもでたらもうそっこう田舎の風景
馬とか牛とか羊が草たべてる。 あと風力発電のやつが立ち並んでる。
まじずっと同じ風景。
駅に着くとパト父が車で迎えに来てた。そこからさらに車でブイーンと 同じような風景の中辿り着いた小さい町。レンガ造りの家ばかりですてきでした。
もちろん滞在する家もレンガ造り。2階建てでシャワーもトイレも2つあって部屋も4〜5つあるからけっこう人がとまれる。庭が前と後ろにあってのんびりするには最高の家でした。
そしてぞくぞく集まる家族、親戚、友達。みんなグーグルカレンダーを共有して自分が行きたい日をブッキングして泊まりにくるシステムにしてるらしい。
ついた翌日がパト母の誕生日なのでご飯を食べに。シーズンのシュパーゲル(白いアスパラ)やら魚や肉やらじゃがいもやら。
わたしとパトはパト母に ハマムの券をあげた。トルコのサウナみたいなあったかいやつで 垢すりも込みのやつ。ベルリンにあるんだけど、ベルリンにも時々来るからそれにした。よろこんでもらえた。
その後もう特にイベントはなく だらだらと庭で飲み物をのんだり。親戚の子とあそんだり、海辺に行くには車が必要だから勝手にいけないんだけど みんなで一緒に車のって行って 砂浜で貝殻探したり。 ちいさい町を散策したり。
庭でグリルしたり。 休暇という休暇をたのしみました。
二点の残念ポイントをのぞいては。。
ひとつ、日光アレルギーになってしまった。
ひとつ、デジカメのカードを完全に消去しようとしてまちがえてパソコンに繋いだままになってた(取り出したつもりだったのに)外付けHDをからっぽにしてしまった、、、
ショックから立ち直るのに時間がかかりました。 数々の写真やデータが消えてなくなってしまった。 復旧を試みるも、デモ版でやろうとしたばかりになんかへんなことになってしまい ちょっとそっとしています。
早くなんとかしないとな、、

それ以外はたのしかったです。
しかし まあ前よりは全然ましだけど やっぱドイツ語むずかしいわい。
ずっとドイツ人ばっかりのなかにいると頭がつかれる。

写真あるんだけど まだ取り込んでないんでのせられませぬ。


ギューター

4月末はパトの地元 ギュータースローっていう街に22Z、HAMSTiとしてライブしにいきました。
リンダとパトと三人でウキウキ旅気分で電車にのって。
天気もよくて楽しかった。

ライブは昔なんかの工場だったところで 去年シュニックシュナックでらいぶしたとことおんなじところ。

人口35万人ほどの街でそんな大きくないので、お客さんもまあ、そんな、、そんなかんじでしたが、たのしくできました。
22zの時 エフェクターにつないでたケーブルを踏んづけて外してしまい音がでなくなるという事故をまたしてもやってしまいました。

リンダはギュータースローに数日滞在し、一緒に散歩したりしてベルリンに帰って行きました。
その後パトと私は パトの親戚の子の なんていうんだっけな名称忘れちゃったけど
キリスト教の宗教上の成人式的なやつがあるっていうんで一緒に出席してきました。
教会でなにやら14〜5歳の子たちが聖書から好きな一節を選んで神父さんだか牧師さんだかがそれを発表し、親に感謝するみたいなやつで、 
でも本当の親じゃなくて、もし両親になにかあったら親になるという約束をしてる親戚(宗教上の親?よくわかんない)に花を渡していた。そういう儀式なのであろう。パトも今回の成人式した子の弟の親になるらしい。宗教上のなんかいろいろあるんだろう。エヴァンゲリオンみたいなやつです。
いわゆるプロテスタント。
知らないことがやまほどあります。
その後その親戚のうちでご飯を食べじにするほど食べて、帰りました。
4月も末だというのに寒いのなんの。雹まで降っていました。

そんでまた数日ギューターにいてベルリン帰還。









メーデー!

5月1日はメーデー。
ベルリンではどでかい祭り的なものが毎年おこなわれています。祭りっていうかなんていうか。前にもここに書いたはず、、
2013
http://nakayamafutabanikki.blogspot.de/2013/05/blog-post_7.html
2014
http://nakayamafutabanikki.blogspot.de/2014/05/blog-post_8.html

2015年は書いてなかったか。。
今年はわたしクロイツベルク地区のこのワチャワチャした通りに引っ越して住んでいますして、そのエリア内に住んでる人は店をだしていいのです。
許可を事前に申請し、得なければいけないのですが、この機会逃すまじ。と友人と日本のカレーと細巻きずしを切らずにそのままスティック状で売るということを思いつきやってみました。
毎年ものすごい人がきて これは絶対売れるだろうと友人と買い出しにものすごい材料買い込み(どでかいバックパッカー用のリュック満タンでまっすぐ立てないほどの重さ)
いざ!
しかしいいい!
今年は毎年歩けないほど人が通りに押し寄せて危ないという理由から、例年よりだいぶ出店していいエリアを減らされ、ステージも少なくされて、毎年そこらじゅうにあるDJブースもあったとかなかったとか。。人もすくなく、、、(それでも去年と同じようにたくさんの人が来ると予測されていた)

赤字にはなりませんでしたが思ったよりぜんぜん売れなかった、、、。

ショック、、、来年は 寿司のみで勝負したいと思います。(懲りてないんか)

写真いっこもとってなかった!

そんなメーデーでございました。

2016年4月13日水曜日

もう暖炉はつかわないかな 今年は 

だんだん暖かくなってきておりますベルリンです。
うちは暖炉です。暖炉っていってもあのイメージする 火がぱちぱちみえてるのじゃなくて タイルに囲まれたブツです。
壁に煙突がめり込んでどっか屋上とかから出せるシステムのようです。
前のうちは ふつうのハイツングだったし(お湯かなんかが中に入って循環してるやつ)一番上の階に住んでたんで まあさむかったけど このうちほどじゃなかったんだけど、
今の家は1階(こちらでは0階 EG という)なんで 寒い。しかも暖炉あんまり効果ない。 その上 炭を燃やし続けないといけない(2〜3時間おきにくべる)
炭重い。(地下に保管してるのを塊でもってこないといけない、ひとかたまり25kgある。)ケラー(地下室)から運ぶのはパトがもってきてくれるけど でも重そう。
これ まだ30代の人間がやってるからいいけど 60歳とかになったらかなりきついだろうとおもう。
さらにもちろん灰がでるので、それを捨てに行かないといけない。
ある程度貯めてからもってくけど、その時に灰が舞って(多分それ以外の時も浮遊するんであろう) 家具を拭いても拭いてもうっすら白くなってる。
さらにでかいし 備え付けだから動かせない。裏を掃除することもできない。 

だけどこの暖炉 いいところもあって 上部に小部屋がついてるんだけど そこでパンを発行させたりできる。まあ、それくらいしか使いみちないけど 小部屋。 小部屋っていうか部屋っていうか 小さい扉付きの穴っていうか。

それと、暖炉のタイルに背中をあてて座るとあたたかくて きもちい。
あと、こちらでは会うと幸運になるといわれる 煙突掃除夫(幸運の象徴のひとつ。四葉のクローバーとかそういう感じ)がときどききてくれる。
まあ、それくらいです。いいところは。
炭も高い。(一冬で日本円で3〜4万とかそれくらい)(1トン買う)

で うわさでは あと2,3年もすれば この暖炉は廃止になるらしい。
ハイツングになるとちょっと家賃上がるらしいけど炭も高いし、諸々の作業考えると ふつうのハイツングになってくれたほうが嬉しいけど、 でも暖炉はレトロな見た目で素敵です。素敵だけどね、、 使いやすさとかでいったらね、、
ただ ハイツングにかわるからといって この暖炉外してくれるのかこのままなのか。
すべては噂なのでわかりません。


そんな暖炉 冬の間、火を絶やさないようにしてきたんだけど、(いっかい冷えると温めるまで一日仕事で炭をくべつづけないといけない様子)
もう春めいてきたのでいまは 火をつけてません。

ただまだ油断できぬ。寒いのがもっかい来たらつけないといけない。
このままつけないなら綺麗に掃除したいんだけど。 見極めがむずかしい。
のでまだ 保留です。





2016年4月9日土曜日

もはや誰も読んでいないかもしれない

気まぐれ日記と化しているこのブログ、 もはや誰も読んでいないであろうが、気が向いたので書きます。
さて ベルリンももう4月にはいり、だんだん日差しが暖かくなってきました。
まだまだ 風が冷たかったりするけれど、刈り上げた後頭部を照らすおひさまの暖かさを感じ嬉しくなっています。

もうすぐビザの更新があるんでちょっと 気持ちが滅入り気味、、
更新だからそんなきびしくないとの噂だけど油断できないのが外人局。。。

担当者によってさまざまだから、、対応が、、もらえるビザの長さも。。

気づけばもうベルリン生活も5年めに突入しています。
一年だけとおもって来たのに。わからないものだな。。


こないだ植物園に行った。ベルリンの植物園にはどでかいガラスの室内のやつ なんていうのあれ ビニールハウスみたいなやつのガラスでできたやつ、 あれがあって あのなかに みたことないような植物がいろいろあって楽しいです。
植物園自体はそんなに巨大じゃないけど なんかいいです。
同じ駅周辺に有るなんか農村博物館みたいなやつも楽しいです。
馬とかものすごいでかい豚とかいる。

そうだ 今週の日曜フリマでいらない服を売ろうと思ってます。売れるかな〜〜
そして月曜はライブ。シュニックシュナック 久しぶりのライブです。
それから今週もう一回ライブというか人形劇みたいなのやる。
グループ展に参加していて、そのなかで私たちは音楽担当、
展示のテーマである 雲(浮雲)を題材に パトと一つの簡単な物語をつくり、それにそって短い曲をたくさん作りました。 それ全部通して一曲というか 組曲っていうかんじの。
ギャラリーで その音楽を流しながらつくった物語を 紙人形をつかって人形劇みたいなのをします。
オープニングで一回やったんだけどやりながら なんかこの感じなにかににてるんだよな と思い、 それを思い出しました。
きんちゃんの仮装大賞、 ああいうかんじです。 なんか毛糸とかであめふらしたり、
おわったあとあの ててててててて っていうポイントが加算されていく音がきこえそうです。 てってててて〜て〜てて っていう合格音がなればいいだけど。


それから月末はパトの地元のギュータースローていうちいさなまちでライブです。
ハムスティっていう自分でひとりでやってるエレクトロのやつと、リンダと始めた22Z(ツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲ)っていうバンドで出ます。
たのしみだな 小旅行。

そのまえに 地獄のビザ更新、外人局にいかないといけないんだけど。。
気が重いぜ。

5月も予定いろいろあります。
そのことはまた書きます!

2016年1月30日土曜日

ふゆのひ

ちょっと前までマイナス10度とかいってたのに もうプラス8度とかいってる最近です。
このブログも音楽のことほとんどかいてないじゃないかということに気づきました。
まあ別に日記だからなんでもいいんだけど、
こっちに来てからソロの(いつもどおりのギタレレの)アルバムつくろうってずっとおもってるけど一向に曲がこれがいいというのが貯まらない。
すこしずつ作ってはいるけど、なんか イマイチなかんじ、、
曲をつくるとき、なにか不満や悩みや嫌なことがあってそれで歌詞を書いたりすることが多いんだけども、そんなに嫌なことが多分ないんだな、、
代わりにぜんぜん違うタイプの曲はつくっています。
パトリック氏といっしょにやってる schnickschnack(シュニックシュナック)
や、
リンダ氏とやってるzweiundzwanzigzwillinge(ツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲ)というバンドhttps://www.youtube.com/watch?v=NO_P38Yw9Mo(これはまだ一回しかライブしたことない新しいバンド)
それから キッラキラのやつをつくりたくて一人でやってるHAMSTi(ハムスティ)https://soundcloud.com/hamsti-2
これもまだライブしたことなくて どうやってライブできるか模索中。パソコンをつかって一人でつくってるやつなんで どうやって演奏したり歌ったりできるのか模索しております。
言い訳ぽいかもしれませんが ソロをつくってないだけで いろいろ音楽とはいつも何かしらつながっております。
でもやっぱり 主となるいつもの感じのやつをやってないと じぶんてきに 私何もやってないんじゃないかという気持ちになり焦ります。
焦ったところで無理やり作って自分でいいなとおもう曲ができなきゃそんなの人前で歌う価値はないし失礼だとおもうので もやもやしています。

たぶんそのうち つくりたくなるさと思いながらもう4年ほどたってしまった。
でもいまつくりたいのは キラッキラのやつ。ださいけど、たのしい。

zzz(長いから略した)ももっとちゃんと活動したいな なかなか二人の都合と練習スタジオの予定があわず練習できてない、、

そんな日々です。

春になったらまたビザ更新、、、がびーーん、、、 やだよう

その悩みをうたにするか。。