題字:権田直博

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2016年9月26日月曜日

衣類を食べる虫との戦い 

日本にもいる おそらく イガとよばれるちっこい蛾が大量に我が家に発生した。
したっていうか いまなお発生しております。
前にも居て、それは全部やっつけたとおもってたんだけどそんな甘くないですね。

こちらには バルサンのようなものもないし、どうしたもんかとパトと各自ネットでしらべたところ、
高温に弱い(こちらの洗濯機は普通温度設定ができるようになってる)ので、高温で洗えば服にうみつけられてるかもしれない卵もやっつけられる)ことや、罠をしかけることなど情報を得ました。
わたしはもう 日本かえるから バルサン買ってきて炊いたらいいんじゃないかともおもうけど、はたして 持ち込めるんだろうか、ドイツに。そしてこっちで使っていいんだろうか。
そのあいだ植物はどこにおけばいいのだろうか、、(ベランダがない)
パトがドイツのサイトから得た情報によると、 なんとかっていう虫が居て、その虫はとても小さく、人間や植物に興味を示さないけど、蛾の卵を餌とする虫らしく、ネットで モッテン用(蛾の複数形が モッテン)に売ってるとのこと。
カードみたいなふうになっててその間に虫がはさまれてるから見ないでそのまま設置できるらしい。
それが多分 最適だと思われる。
ただ値段がちょっと高い。
あとドライヤーの熱でだいたいやっつけられるらしい。
それと罠をしかける(ドラッグストアにうってる)

うちは床が板じゃなくてなんていうかビニールっていうかそういう素材のやつで、冬場寒すぎるから絨毯をひいてます。その絨毯も奴らの餌になるので もう捨てようとおもってます。(見た目からしてけっこういいやつっぽいけどもう古い)あと ベットは床にすのこひいて そのうえにマットレスをおいてる状態のベットなんだけど マットレスもやられてるかもしれないから 捨てようかという話に、、

くそう!やつらのせいでお金がどんどんでてく! 

とりあえず さっき罠をかってきました。
罠設置した瞬間どこからともなく やつらが集合してきて
きゃあ!!!っていって 部屋を締め切り逃げました。

どうなるんだろう、、、 

とにかくなんとかしたい。まじで。



フリマのこと

パトの妹がこの一ヶ月泊まりに来ていて日曜だしと、みんなでちょっと遠くのフリマにいくことに。
以前から結構気に入っているシェーネベルクにあるフリマ。
でももうなんだか うんざりしてきた。
個人の人たちがやってるのならいいんだけど トルコ人とかがやってるプロのフリマ業者はもう、 日本人のわたしが いくらか聞くとすぐ 20ユーロとか 15ユーロとかふっかけてくる。
それがもううんざりする。
は?15?っていって 返そうとすると じゃあ5ユーロとかいってきて 
さっきの10どこいったよ! なんだったんだよその差額10ユーロ ばっかやろう!とおもって よく考えたら5ユーロくらいは適正かもしれないけどこちらはもうやる気失ってるので5?ないわ っていうと、 それ以下は無理、品物戻せ とか言われて 余計に腹が立つ。向こうも騙せなくて いらついてるんだろう。そうは行くかってんだ!!!買うもんか!

私が選んだやつなら だいたいはじめに5ユーロっていわれるだろうけどそれを3〜4.5くらには値切れそうなやつだ。 そういうのがもううんざりしてきて、 フリマもめんどくさいなっておもうようになってきた。
個人がやってるやつならぜんぜんいいんだけど もうソシアルラーデンだけでいいかなって最近おもってきた。
日本人のみなさん、観光に行って フリマでだいたいのもの20ユーロとか15ユーロっていわれるとおもうけどそれ 何も知らないと思ってふっかけられてるだけですよ。
ほんとにちゃんとしたメーカーのいいものを買うならもっとするか、それくらいかもしれないけど なんでもないような皿とかコップとか そういうので 15とかいってくるのはだいたいカモにされてるだけです。だいたい 1ユーロとかでも手に入るようなものです。(モノによりますけどもちろん)
フリマ行くだけで腹が立ってしまった。
楽しみにいったのに。




2016年9月20日火曜日

ビザのこと

よかった、、 すごく親切な人だった〜
外人局。
いわれた書類全部もっていったんだけど、その前にまず言わなきゃいけないことが有るんですけど、 わたし結婚するんでビザを変えたいんです、っていったら、
そしたら わあ!すてきじゃない!でもとりあえずまずこっちを見よう、
ともってった書類見て、 幾つか質問されたんだけど、結局、稼ぎが少なすぎてこれじゃフリーランス延長できないわねっつって
11月の予定取ってくれて、そのうえこの紙に記入して、これとこれをもってきてね。と記入用紙をプリントしてくれた。
仮ビザを12月末まで伸ばしてくれて じゃあまた11月にね!良い日を。とあっさり終了! 
次回予約の日にちと時間までこちらに訊いてきてくれた。いままで 予約なんかとれない 自分でとれ、並べと言われたこと数回、 予約取れるとしても日時はむこうが指定、それ以外は無理。とか あと仮ビザ延長する度わたし20ユーロはらわされてたけど(わたしの記憶では)、本来そんなの払わなくてよかったらしい! 仮ビザの延長なら払わなくていいんだ。 向こうが筋の通らないこと言うから、こちらが強い態度で出てなんとか仮ビザとったときなんかパスポートをぽいって投げて返されたことすらあったのに!
なんて親切なひとなんだ! と(よく考えたら普通のことだとおもうけど、 役所だし)
感動しました。

稼ぎについては いろいろ周りから耳にしたことによると、みんな多めに書いてるとかないとか。金額を。その分税金を多く払わなくてはいけないけど。 わたしはそれをするのを忘れていた。 
でももうういいや、ほかのビザにかわるから。
そして 次回持ってくるもののなかに、別にドイツ語のテストなんか書いてなかった。
もしかしたら 日本に住んでていきなりこっちに来る人用?なのか 変わったのか、今回自分で全部ドイツ語で対応してたからいらなかったのか、それともベルリンは違うのかわからないけど、私がもらったやつでは、
自分のパスポート、 相手のIDカードもしくはパスポート、
結婚したという証明の紙、記入した書類、証明写真、お金(40ユーロ)、相手の新しい給料明細、てかいてあった。
それを次回もっていけばいいとのこと。

すんなりいくことを願う。

ちなみに、ついでに書いておきます。ベルリンで、結婚する場合。
standesamtという役所にまず行って、何が必要か訊いてきます。
それでわたしたちは、
婚姻要件具備証明書(日本で独身ですという証明) 
戸籍(日本で家族等に代理でとってもらう。これを翻訳し、日本大使館に持っていきドイツ語の出生証明書みたいのをつくってもらう)、
相手の出生証明書、
あとお金120ユーロ。
もってこいといわてないけど 母がついでだからととってきておくってくれた アポスティーユという日本の法務局かなんかが発行してくれる証明書(強い力をもっている)ももっていきました。
だいたいそんなもんだった気がします。 ただ、ほかの地域(同じベルリン内)で結婚しようとしてる子が居て、その人の話ではもっとややこしかった。 金額もぜんぜんちがった。200くらいといってた。
わたしは 戸籍を自分で翻訳し、それを大使館にもっていったんですが、その子は 自分でやってはいけない。認定された翻訳者に翻訳を頼まないと認められない、といわれたそうです。なんだか過去に自分で翻訳したけどまちがえてた日本人が居たとかでそれでだめなんだといわれたらしい。  だからまず 直接行って何がいるかきいてきたほうがいいです。自分の住んでる地域のstandesamtに行きます。

とにかく書類を揃え、sdandesamtに持っていき、最終的に入籍する日にちを決めます。
希望の日に予約があいてるとは限りませんが、だいたい自分できめられるぽいです。
こちらでは セレモニーといって、小さい式を役所であげます。
そこに人を呼べるしくみです。 神父さんだか牧師さんを呼ぶこともできるみたいです。
わたしたちは別に宗教的なのはいらないです、と選択しました。
でも やっぱ必要っておもったら 2時間まえくらいに言ってくれたら用意できるから、みたいに軽い感じで言ってた。
そこでなんか 通訳が必要かな?いらないわよね?と決められたけど 必要な人は通訳いります!て選択できるみたいです。 わかんなくてもヤーヤーいっときゃいいんだっていわれました。(ヤー=ドイツ語で はい )
両親呼ぶ?椅子何個くらいいる?指輪の交換などもする?どうする?入場の曲は用意してね!となんか あ ほんとに結婚式みたいなことをするんだ とそこでしりました。
お金特にかからなそうです。 払った120(120ユーロは 感覚で言うと1万2000円 正式に換算すると1万5000円くらいかな?、多分)に含まれてるのかもしれないけど。セレモニーをあげるstandesamtは自分の住んでる地域のじゃなくてもいいらしいです。

もともと結婚式は上げるつもりなかったから ラッキーです。(ものすごい高いとおもってたし、べつにいらないと思ってた。)(彼の母が、なんでふたばが 結婚式やりたいっていわないのかわかった!グーグルでしらべたら 日本の結婚式は世界で一番高いみたい!そりゃやりたくないわねといっていたらしい)
親に借りたりしなきゃならないほど高いお金払ってまで、きなれない服着た自分たちの姿を見せつける必要はないとおもってたので。(しかし友人の結婚式は喜んで参加、そして 美しい姿をみて感動してだれよりも泣くというパターン)でもなんか式みたいなのはしたほうが心がひきしまるよってきいてたので ちょうどいいです。
(結婚パーティーはします。ライブパーティーを。)
話がそれましたが、 そういうセレモニーがあるみたいです。

あとは 名字は変えるかとか いろいろ項目がかかれた書類にサインして とりあえず終了です。名字かえなくてもオッケーです ドイツは。
でもわたしは変えます。 中山残すか どうしようかな、とおもってたら 母が思い切ってかえたほうがおもしろいといってくれたので 変えることにしました。

そもそも、彼とうちの両親は一度も会ったことがないです。 
それなのに結婚を認め書類まで取り寄せて協力してくれております。 感謝以外の何ものでもないです。
国際結婚と聞くだけで だめだという親もいるとか。わたしにはその意味がまったくわからないです。何がどうだめなのかほんとに意味がわからない。
でもやはり、一応結婚前に家族に会わせなくては わたしの気がおさまらないので 10月に彼を連れて日本にいくことにしています。
 どうしても両親が反対するなら 結婚はとりやめられるし。(ビザどうなるんだ)でも会っても反対しないとわかっているから こうやって進められました。

両親も私を信頼してくれているんだなと感じました。
いままでの家族との関わり方がこういうときに活きてくるんだなと思いました。







2016年9月19日月曜日

急に秋

ベルリンは昨日くらいから急に秋になった。
風がつめたくて 空が高い。陽はまだ暖かい。
きもちのよい天気です。
金曜にシュニックのライブがあって それはリリースパーティーと称してるのだけど いままだレコーディング中です。

でも確実に日本へは持っていけるので楽しみです。
10月にまた日本へ行きます。
シュニックシュナックライブが大阪と東京であります。
またこちらでもお知らせします。

はああああ、 憂鬱!!なにがかっていったら、明日外人局!
ビザの更新。前回4月に行ったときは書類が足りないと言われ(全部もっていったのに もってくるもののとこに書いてない書類をもってこいと言われた)、あと保険を延長しないとビザは出せないと言われた。(事前に保険会社に問い合わせて延長したいといったけど、残りが十分なほどあるので、まだ延長できない、残り半年以下にならないと延長できないと言われた。そのことを外人局にいっても だめ、延長しろの一点張り)(保険も私と同じ残り日数でビザを3年とか余裕でもらえたひとも何人もいるし、書類が全部そろってなくてもビザを発行してくれる人もいる。ほんとに、ほんとに、全部もっていっても担当者次第で難癖つけられてすぐに出さないパターンもある。ほんとにいやだ。)
ということで 行かなきゃいけないんだけど、
ほかの書類はいいとして、保険が私の保険が5年以上同じのつかってるからかなんかで 種類を変えなきゃいけないといわれた。 
種類変えたらいいんだろうけど、もうもともとわたしたち結婚しようとおもってたので、これを機に結婚することに向けて本格的に動きました。
保険は彼の扶養家族に入るということにしたら 良い保険が低価格、もしくはお金払わないでも受けられる。
でもそのためには フリーランスをやめなきゃいけないっぽいです。 稼ぎが一定額以下でなければいけない。(もし多いならその分保険料もあがる)
フリーランスでいるなら 稼ぎを多くして税金できるだけ払っていかないと 延長がむずかしくなってくる。
(もちろんそうじゃない人もいっぱいいます。 外人局はほんとに、人次第、運次第)

明日その旨をつたえ、 ちがうビザに変えてもらう方向にもっていかなきゃいけない。
それがもう憂鬱でしかたない。
わたしは毎回ビザ運がわるく、何度も外人局にいくはめになっているので 心が重いです。
でも結婚のための書類は全部あつめて、すでに役所に提出し、入籍する日にちを予約してその正式な紙ももらいました。
保険会社にも通達済みで、あとは結婚後、正式に申し込むだけです。
予測ではまた仮ビザをもらい 結婚後もう一度外人局に出向くんではないかとおもってるんですが、どうなるのか。
ネットで見る限り 配偶者ビザにはドイツ語能力を証明するテスト(A1=基礎の基礎)を受けないといけないみたいなことかいてあった。 授業はB2までたしか受けたけどテストなんか受けてないな。 めんどくさいことがまだつづくのか。
とりあえず早く明日がおわってほしい。

それほどに外人局が憂鬱だ。




2016年9月12日月曜日

帰宅

ウイーンからプラハ経由で合計9時間、、
4時間プラハまで、1時間待ち、プラハから4〜5時間 でベルリン
列車はそんなきらいじゃないんだけど、やはり日本で育ったというのが大きいのか、不満が多すぎる。。
自分が小さい人間なんだと思うけど 逆になんでみんなこんなんで我慢してるんだろうと思う。

プラハではぎりぎりまででない 何番線でまてという表示、やっとでてみんな急いでそこまでいって、(けっこうひろい)せっまい入り口 且つ高い階段を重い荷物引き上げて乗って、
6人のボックス席で、自分たちの予約した席見つけたけどすでにだれかすわってるから そのひとたちにまず そこ予約してるんだけどっていって なんだよみたいなかおで見られ追い出すところからはじまり
隣の男が貧乏ゆすりしながら2時間以上ずっと初対面であろうほかの乗客(わたしはその女性が聞き上手だと感じた)としゃべり続けていて 一個席開いてるから私の
となりからもうひとつずれてくれればいいのに その女性と仲良くなりたいんであろう(その女性がトイレ行くたびにその人もいっしょについていってた)(どこから来たのかとかいう話をさいしょにしてたから 初対面と思われる) 
その女性の前の席から動かないし、暑いしでもう ため息が出そうだった。
しかしこうやって書いてみても わたしのこころが 荒んでいるなというきがしてくる。。。
パトは頭がいたいとぐったりしてた。
暑い狭い室内でのマシンガントークがきびしかったから フラカンを聴いてやりすごした。
ライブにきてるから 暑いんだ ここはライブ会場だと言い聞かせたけど ライブ会場は直射日光で攻撃してこない。
彼がおりたあと パトにこっそり やっと降りた!3時間くらいノンストップだったね!ていったら、
ここは6人席だからそういうの当たり前だといわれ それにもムッとした。

むっとした自分にも腹が立った。 暑いからだきっと、、車内が、、サウナみたいだから、、
冷房フルにしてるけど よっわい冷風がそよいでるだけ、、
で違う駅からカップル的な人らがのってきたけど すごく静か。 いま車内でこれをかいているんだけど キーボード叩く音をできるだけ出さないように苦労しているほど。
さっきより随分快適になった。

日本の新幹線を懐かしく思った。日本にも騒いでる人はいるけど、まず新幹線の車内で サウナみたいに暑い、、苦しい、、、と思ったことはない。寒いことはあるけどね、、、

さきほどのように これが基盤でこがあたりまえだと生きてきた人は これ以上を望まないんだな。荷物の配達の件もそうだけど、日本のようなサービスの国、いきとどいた清潔が当たり前で育ってきた私には くそが!としかおもえない。ただ、人々は助けてくれる。重い荷物をのせるのを手伝うし、言葉がわからず困ってる人がいたら 英語で通訳してあげたり、そういう場面は何度も見た。(もちろんなにもしないひともわんさかいる)それをみならって わたしも気づいた時にはできるだけ手伝うようにしてる。

でもこのまえ 考えがまとまらないまま書いた、国と人のこと、 やはりおおきな国民性というのはあるのかもなあ、と考えなおした。
たとえばサービスのかけらもないような対応でもそれが当たり前と思えるところとか、
逆に、ありえんとおもうところとか。
まあそれも 人次第かもな、日本人でも こんな暑い臭い車内でも全然構わんていう人も絶対いるだろうし。まだまだ 考えはまとまらないな。

大胆に愚痴りました。いつだって ないものねだりだ。
反省。

話はかわるけど 行きの車内で景色変わらんなとおもってたけど プラハ経由にして チェコからドイツ入ったら やっぱかわった。家の頑丈さがだいぶ違うように見えた。
そしてありふれたドイツ語の看板をみて、あーーかえってきた!と安心した。
大阪に帰った時に 梅田あたりの建物をみて あ~~~~!かえってきた!!!と安心するのと同じような気持ちだった。ベルリンの景色をみたらもっと そうおもうんだろうな!

はあ もっとおおらかになりたい。そうしたらもっといろいろらくなのにな。
---------------
さて 自宅にかえってきました。 シャワーも浴びて清潔! ああ やっぱかえるとほっとするな。

2016年9月11日日曜日

ウィーンみっかめ

今日は昼過ぎからちょっとまちを散策、その後なんかよくわかんないけど ポッドキャストの収録にいきました。フローの知り合いがやってるやつで 名前をいわず演奏します。
アーティストナンバーの数字がそれぞれにつけられて、誰がやってるかは明かさないらしいです。
数曲演奏しました。 その住居がすごいいいとこだった、、 古いんだけど ワンフロアぶちぬきでひろくて、ものがあんまりなくて、なんていうか屋上のようなベランダみたいなぶぶんがあって お風呂もかっこいいつくりになってました。
こんな生活してるひとがいるんだ、、、となんだか遠い世界にいるような、、収録が終わったらいちごと人参をミキサーにかけて おいしいジュースを振る舞われました。
その後また フローとパトの共通のミュージシャン友人の家に庭でメロンとレモネードでも飲もうと誘われてたので行きました。
そこもまたいい家だった、アパートなんだけど作りがおもしろくて、ベルリンではあまりみないつくりでした。だいたいベルリンでは 入口入って中庭が一個あってそれをかこむかたちで住居の建物(マンションみたいな)がたってるんだけど、 入口はいったら道がつづいてて 両サイドに公園みたいなかんじになってて なんていっていいかわかんないけど 中庭部分がでかい。その中庭でレモネードのんでメロンたべました。
かれこれ一週間でそろそろ私の頭のなかパンクしかけてました。 ドイツ語がめんどくさくなってるという意味です。みんながしゃべるドイツ語を処理するのにもう疲れた状況。喋ってる内容は どこのアイス屋のなんていう味がおいしいとか、こどものころあそんでたおもちゃのはなしとか そういうことなんだけど、そこに割り行って話しかける話題もなけりゃ気力そして 語学力(勇気)もない。後半もう ああ帰りてえなあ と思ってました。
すごい親切で いい人達で好きなんだけど 心底 あ〜はよかえりてえ めんどくせえ〜 という思いで溢れかえっておりました。
帰ったとしても パトとペーターだから まだドイツ語だよ! 
パトのはもうなれたけど ペーターは早口だからむずかしいよ え?え?てなんかいも聞き直してるよめんどくさい。おまけにいらん冗談ばっかりいうもんだから それに対するリアクションもめんどくさい。普段ならぜんぜんいいんだけど 疲れてる時はもう 聞こえないふりしておりました。 
もっといろいろお店とか見たかったけど 今回は仕方ない。パトも久しぶりの友達にあってゆっくりしたかったろうし。
近所で食べるとこ探して そしたらなんか セルビア系の料理の店が唯一ましそうだったからそこにしました。 肉料理の店でものすんごいボリュームの肉を食べました。

朝ごはん以来まともなものたべてなかったので(ポッドキャストスタジオでもらった飲み物と メロンだけ)エネルギー補給にはちょうどよかったけど ものすごい量だった。
朝ごはんに一昨日スーパーで買っておいた チーズ入りのソーセージを焼いて食べました。(肉ばっかり!)それがすごいおいしい。パトが オーストライヒ(オーストリアのドイツ語読み)にはチーズがはいったケーゼクライナーっていうソーセージがあるんだぜつってたので ぜひたべてみたかった。 ベルリンでけっこうさがしてたけどみつけられず 念願のソーセージでした。 
さて あしたは朝からプラハ経由で9時間かけてベルリンかえります。
は〜 家のちゃんとしたシャワーに入りたい。もっというなら 日本のお風呂に入りたい。それはもう お金持ちになって日本風のお風呂のあるとこに引っ越すか特別に作るかしないとだめだけど。。(こっちのは バスタブのなかでシャワー浴びるタイプ)(洗い場がほしい)(でも前のバスタブすらなかったただのシャワーにくらべれば 随分いいといえる)
来月の日本たのしみだけど4人ドイツ人つれてくのが すでに あ〜きっとつかれるんだろうな と思っています。でもまあ 楽しみのほうが大きいかな。

チーズ入りのソーセージ ケーゼクライナー

街にあるおもちゃ屋サンのウインドウで発見したお面
耳のかなに家!斬新!


2016年9月10日土曜日

ウィーンライブ

昨日はウィーンでシュニックシュナックのライブでした。
AUというバー(カフェ)でうしろがライブやDJができるスペースになってるとこで、すごくいい感じのとこだった。グランがPAとして働いてるところみたい。
昼間にパトとグラン(グランというのは芸名?で 実際はフローリアン、アダ名はフロー)でちょっとしたウィーン観光をした(ウィーンと書くことにする いちいち英字にするのがめんどくさい)
10年前に母と来たときは 小雨でどんよりした天気だった記憶だけど今日は快晴ですごいあつかった。フローおすすめのオーストリア料理のお店でシュニッツェルをたべました。シュニッツェルは本来 子牛の肉でつくるのが本場モンらしいんだけど、わたしはできれば子牛は食べたくないので 豚のやつにした。一緒じゃん、と思うでしょうが、(いきものの命をもらってることにはかわりない)でもやっぱりあかちゃんの肉だと思うと 食べられないです。知らなかったらたべちゃうんだろうけど。おいしかったし、雰囲気もすごくいいとこで あとで他のウィーンの人と話してて今日はあそこで食べたんだといったら あそこはすごいいいと彼女も言っていた。
なまえわすれちったな、、値段も高くなかったしもしウィーンでその店に行きたいときはきいてください。全力で思い出す努力をします。

その後旅行者がわんさかいるエリアにいった。そこは私がおもってたウィーンってかんじ の景色でした。ヨーロッパのロマンちっくな感じ!ていうような。昔は王様がすんでて王様っていうか帝王みたいな言い方してたけど、いまは政治かなんかやってるという建物も、っか〜〜〜なにもここまでやんなくても!ていう豪華さだったし、ちかくのお店が立ち並ぶ通りも観光客でごったがえしていて これこれ!ていうかんじだった。

でも いまとめてもらってるとことか、ライブしたとことか、歩いてたらイメージとちがって なんか東の国感をすごく感じた。東欧というか、。でもときどきイタリアの路地っぽさも感じた。移民的な人々もたくさんいる。
わたしはそっちのほうが興味深さを感じるので 面白そうな街だとわくわくしました。
狭い路地がいっぱいあってボロ汚い。
だけど東欧っぽいボロ汚さのなかに 建物はやっぱり外装が凝っていて(壁に顔の彫り物とかがくっついてるタイプのやつや、やたら人の像がくっつけられてるやつ)一度ものすごい栄えてた国感が漂っていて、散歩がたのしかった。
ベルリンとちがって 爆弾がそんなに落とされなかったからだとフローが言っていた。落とされたのは落とされたけど量が違うと。そう思うと、ほんと戦争がにくったらしい。せっかく古くていいものも いろんな命といっしょに爆弾で焼いてしまうなんて。
こちらなんかほとんど地震もないから古い建物なんか残りたい放題だ。(もちろん他の色々な要因があってとりこわされたりするんだろうけども)

そういうことをおもった。

それからペーターを中央駅にむかえにいって合流、ライブの場所にむかった。
ペーターのおばあちゃんもトイレが別のとこにある家にすんでたらしい。昔ではそれがノーマルだとのこと。

さて ライブにはパトやフローの友達もたくさんきてくれてたのしかった。
ミュージシャンやDJで活躍してるひとたちもきてくれた。
ライブもいいのができたなとおもった。
お客さんの一人に、わたしの日本の友達iちゃんにそっくりなひとがいた。
顔はもちろんそんなににてないんだけど、ぜんたいから醸し出す空気が似てた。
彼女をみるたび iちゃんがそこにいるみたいで、 ああiちゃんがいる! とおもい、なんだかうれしさと(実際は違うのはもちろんわかってるので)あいたいなあ、と泣けてきて、何度か眼をそむけてしまったほど。にこにこしてみてくれていて、終わったらすごくよかった!といってくれたので、 あなた私の日本の親友にそっくりで、すごくうれしかったと伝えたら、彼女も それをきいてわたしもうれしい といってくれた。
そういうことをいうのも iちゃんだとおもった。
ほかのお客さんにカタマリみたいですっごく素敵といわれた。よくきくと、カタマリなんとかというプレイステーションのゲームで それでたくさんいろんなものがひっついてるやつっていうことだったんだけど、そのゲームやったことないけどその人が真剣にカタマリのことを素敵だといってくれてたので嬉しかった。
ほめられるのはやっぱ、嬉しいな。

私はといえば、風邪ぎみのこともあり、また、カフェインを摂り過ぎたんだと思うけど、ぐったりしてしまった。 
マテ茶をつかったジュースみたいな飲み物、は〜〜また名前忘れた!Mからはじまってたようなきがするんだけど、それを二本ものんで立ち寄ったトルコ料理屋ですげえ濃い紅茶をのんだからかもしれない。 Mからはじまるやつ おいしい。ベルリンでも売ったらいいのに。クラブマテが力がつよいのかな、といっても最近もっといろんなマテのがあるけど。
Mからはじまるやつは炭酸もはいってないし、レモンティーみたいだし あったらいいのにな。オーストリアのもんだと言ってた。
ライブとかいくと、私はお酒を飲まないから飲み物は決まって クラブマテ的なやつか、その他炭酸の飲み物のチョイスになってしまうんだけど。これがあるとうれしい。
ただ カフェインたっぷりみたいだから気をつけないといけない。
この前 疲れが取れなすぎてしんどかったから バイトのときにレッドブルのんで、クラブマテのんで、お客さんにまちがってつくった抹茶かなんかものんだから 一時すごくげんきになったんだけどその後 ぐったりした経験がある。カフェインあんまよくないんだろうなあ。 その辺りに気をつけ こちらにいるうちにもういちどあのMからはじまるやつを飲んでおこう。写真をとったから ベルリン帰ったらパソコンに取り込んで載せようここに。
今日はなんかポッドキャストの収録?みたいのに呼ばれてるのでそれに行く予定です。
もうちょっとこの街を散策したいな。そしてまたお母さんをつれてきたいな。こんどははりきっていろいろ説明できるようになってるであろう〜〜。
 あったあった!写真 makava だった。名前。








2016年9月9日金曜日

かぜぎみ

先週くらいにzzzのライブをしたあとくらいから あれ喉がいたいとなって、声だしすぎたかなとおもってたけどそれ、風邪だった。熱とかはなくて 鼻と咳。。止まらぬ。
そのままシュニックのツアーに突入、パトの実家に数日滞在してたんだけど、パト母がホメオパシーの咳に効くクーゲルヒェンをくれた。その前に咳止めシロップをかってなんとかしようとしてたんだけど できればホメオパシーのほうがよさそうだな、

鼻はなんとかなるけど 咳はやっぱ厳しい、ライブだと。どうにかとめないとな、、

そういえばミュンスターで感じた違和感、 だれもわたしに話しかけてこない、
わたしが風邪気味だったからか?咳き込んでたからか?それとも外国人だからか?
もしくはわたしにまったくだれも興味がなかったのか?
だれもっていうのは いっしょにツアーをしてるパトとペーター以外の ライブする店の人やお客さん。お客さんもたった5人だったけど、、なんとなく変だなとおもって ペーターやパトにだれもわたしに話しかけてこない、わたしが外国人だからかと詰め寄ったら おかしいな、学生の街だから 外国人のひといっぱいいるとおもうんだけど と困ってたけど。ミュンスターはそんなに外国人排除思想の人たちの街ではないとおもうけど と。 
たまたまだったんだろうけど、でもなんか嫌な気持ちだった。 ベルリンなら、わたしが ドイツ語わかろうが英語わかるまいが はなしかけてくる。 ビーレフェルトだって話しかけてくれた。

長くいると(といってもまだ6年目?多分)嫌なところもたくさんみえてくる。
最初はいいとこばかりみえてて、嫌なところは目をつぶってたか 外国だからフィルターでみてたんだろうけど そんなフィルターも効果を失いつつ有る。
今日も電車で ドイツ人のおっさんグループが乗り込んできて ビールを飲んで大声で騒いで、ほかにも乗客いるのわかってんのかよといってやりたかったけど 陽気にさわいでるだけだから 仕方ないな、とおもってやり過ごした。いらいらしながら。

よく、ドイツ人ってどんなの?てきかれるけど、 日本人ってどんなの?てきかれて そりゃ、いろいろな人がいるからとしか答えられないのと同じく、 やっぱいろんな人がいて、嫌なやつもわんさかいるということに 気づき始めている。
日本人はまじめでよく働いて 礼儀正しく静かで自己主張しない なんていうのが 典型的な日本人かもしれないけど わたしにはそんな友達居ない。わたしもそうじゃない。
そのうちどれかは当てはまってるけど 当てはまってない項目も有る。 あたりまえだ。
あたりまえなんだけど、 なんとなく頭のなかで、 なにジンはこんなかんじで、 なにジンはこんな感じというのをつくってしまっているようで、(それがすべていけない源なんだけど)前はドイツ人のイメージ、堅実、マナーをまもる、静か、みたいな、そんなのを勝手に頭に持ってたかもしれない。 
でも実際はそうじゃない、
 そういう人がたしかに多いのかもしれない、けど、いろんなひとがいる 。
その一言以外 ない。
そういことを体感として感じ始めてる。好きなとこもあれば嫌いなとこもある。

だから 人や国をすきになったり きらいになったりする理由に、何ジンだから、どこの国だからっていうのは 理由にはならないと思う。
ミュンスターがいやなんじゃなくて、ミュンスターで話してくれなかった人たちが なんか残念だった ということか。自分も履き違えないようにしないとな。
そもそも日本でもどこでも、 初対面の人と話をするのは苦手なので 別にいいんだった。
何が言いたいのかわかんないな。




ウイーン

さきほどのブログにもかいたけど、 いまウィーンにおります。
パトリックの友達で ミュージシャンでもある グランていう人のうちに我々は泊めてもらいます。
電車で10時間くらいかけてきたんだけど(ベルリンからではない、違う土地から来た)
10時間って 飛行機だったらほとんど日本つくじゃん!と思いました。

バスは断然安いんだけどちょっともう 体力がもたない、バス。 最近飛行機もほんとしんどいなと思い始めてるんだけど、移動がきつい、、
昨日信号が青のうちに渡りたいと10mくらい小走りしたんだけど、 走れない!
走り方がわからない! あれ どうやって走るんだっけって言う状態で、これはまずいぞ!本格的にまずいぞ!と思いました。
移動はよく自転車を使うんだけどだめだ、もっと 自力で動かないと!と強く感じました。そりゃふとるわけだ。
飛行機に耐えられなくなったら日本に帰れなくなる、ちょっと体力つけていかないといけないな。

話それたけど、電車でウイーンに (ウイーンなの、ウィーンなのどっちなんだかわかんないけどドイツ語ではヴィーン みたいにいってたとおもう。wienとかこう)
向かう景色を窓からみてたけど、ほっとんどかわんない、言葉もほとんど同じだし。
グランの言葉もときどき 聞き直さないとやっぱわかんない、けど聞き直したらわかるようにいってくれるし、わたしのドイツ語をちゃんと聴いてくれるいい人です。
パトも時々聞き直してるから、多分わからない時がたまにあるのかなと密かにおもってます。
グランのうちはふる〜いアパートで 石の螺旋階段みたいなのを上がっていってボロいけど雰囲気のある建物です。びっくりしたのが、トイレが 外(廊下)にある、
それは共同じゃなくて、いっこいっこ鍵があって自分のとこが決まってるとのこと。
これwienではふつうなのかときいたら ここが古いからだと、古いアパートはそうなってることがあるとのこと。
部屋もボロくそして汚いです。 散らかってるんじゃなくて 古汚い笑
殺風景で男の一人暮らし感がでてます。 靴で入るタイプのうちだった。(ほとんど友達のいえは 靴を脱ぐタイプ、靴ではいってもいいけど 基本脱ぐっていうかんじがほとんど)
スーパーにいったけど うってるものもドイツとほとんど変わらなくてふむう、という感じだった。でもまちから 山が見える。そういったらまわりが山でひくくなってるところにwienがあるんだといっていた、盆地ってことだろうか。

そして 暑い。ドイツ出るときは長袖に軽い上着はおってたけど、 ランニングでいけるレベル。
たまたまかな、それともちょっと南に位置してるからかな。

wienは10年以上前に母と2人、 初めて海外旅行にきたときに一日だけ寄った。
完全ふたりだけで右も左もわからず寄ったまち。日曜でお店なんかどこもやってなくて なんだよ〜ってなったまち。
今思えばフリマあっただろ!ていってあげたいけど当時はなにもわからなかった。
日曜お店がしまってることに驚いたくらいだから。 いまじゃ 日本かえって 日曜も店やってるんだって 言い聞かせないといけなくなった。(つい、日曜休みだから土曜のうちに買っとかないとなどと考えがち)

夕方ついて グランとパトと重い荷物運びこんだあと、スーパーいって近所のビアガーデンにいった。ビアガーデンといって ビルの屋上の食べ放題飲み放題を想像しては全然ちがう。ビアガーデンっていうか ビアガーテン(そういう発音)。庭的なとこに机と椅子がいっぱいあって 食事したりビールのんだりできる場所
わたしはあんまりおなかすいてなかったので、小腹空き用メニューにあった パンに豚肉(焼いてあってチャーシューくらいの薄さにきってある、でも冷たいやつ)とマスタード、ピクルス、それから西洋わさびがのってるやつをたのんだ。
西洋わさびがドイツのドイツ語とオーストリアのドイツ語が違った(のか、わたしがわかんなかっただけか)のでグランにきいて知った。
おいしかった。

パトとグランは本当に仲良く、ずっとうれしそうに 冗談ばっかりいって笑ってる。
いまもキッチンでずっと喋ってる。わたしは一足お先に部屋に戻った。
明日はライブ、たのしみだな。
ペーターも明日wienにつくとのこと。
写真がないのは、アイポッドを自宅にわすれるというヘマをやらかしたためです。
デジカメもってきたけど 線もってきてないから パソコンにいれられない。
パソコンはもってきたんですけど。

 荷物を運ぶフローとパト



 トイレ

窓から見える屋上の小庭 謎の植物がさいている



集客のこと

最近zzz(ツヴァイウントツヴァンツィヒツヴィリンゲ)という リンダとわたしの バンドのライブを久しぶりにしました。なんかのイベントに呼んでもらってのライブでした。
リンダ5月から8月までフランスに帰ってたから すっごい久しぶりのライブ。
練習もたくさんしてさてライブ、だけど お客さんが少ない、、
ライブは楽しんででき、お客さんたちからよかったよとたくさん言ってもらえました。
そしていま シュニックシュナックのツアー中です。
ビーレフェルトっていう小さな町、それからすこし大きなミュンスターというまちでライブをしました。 またも、お客さんがすくない、、(ミュンスター、お客さん5人!宣伝不足だったとのことですが、宣伝だけのせいにしてはいけない) 
こっちにきて、お客さんを集めるということについて、どうしたら来てくれるんだろうと 考えるようになりました。
それと同時に、 自分はいかに、日本で恵まれていたか再度思うようになりました。
ベルリンなら友達がいるからある程度きてくれるけど、でもそれは友達だからであって、 友達にほかの用事があればこれないし、どうしても見たくて来てくれてるわけではない、いや見たいと思うから来てくれるんだろうけど、なんていっていいのか、)

こっちで宣伝をしてるかと顧みると、ほとんどしていない。 フェイスブックにかくだけ。
日本にいる時は 毎月チラシをつくっていたな、そしていろいろなとこに置いてもらってたっけ、それになにより、ジョジョさんや高野さん、ライブをする場所のみなさんのちからが大きかったな、と痛感しております。
もちろん国がちがえば、やり方もちがうから日本のやり方がそのまま通用するとは思わないけど、手始めにチラシをつくることにしました。

いまツアーの続きでウィーンにいて、 ドイツからウィーンの列車の中で チラシをかきました。 ベルリンにもどったら コピーしていろいろ置きに行ってみよう。
つづけることが大事だ、 
ブログも、、
どこかで誰かが見てくれているっていうのは なんだかやっぱりすごくうれしい。

あ、もちろん、 宣伝よりもなによりも 満足行く曲をつくることが先だってことは 承知しております。 
いままでソロでやってた感じとは違うかんじなので(はしゃいでいる系)このままでいいのかはわからないですけど、 ソロのだってこのままでいいのかわかんないままだったし、 とにかくやるのみです。

9月からバイトが少し減らせるみたいだし もっと音楽に時間をつかおう。
いや、いいわけだな、、ほんと、 



夏すっ飛ばし

かれこれ3ヶ月ぶりの更新、、 いつもわすれてしまう。。
夏になにをしていたか。 バイト三昧でした、、、
日本食屋さんのバイトをずっとつづけてるんだけど、8月はいろいろ人がたりなくて ずっとバイトでした、、、チーーーーン
大好きな7月はなにをしていただろうか
なにをしてたんだ、思い出せない。多分バイトだ。

ああ、でも8月で35さいになった。 え もうそんなになったのか、十分な大人だ、、
誕生日はパトリックと動物園にいきました。
天気もすごくよくていい一日だった。前はパンダがいたのに、いなくなってしまっていた。ゴリラを推してるようなかんじだった。

そんで恒例の焼き鳥ピクニック
もちろん焼き鳥なんかベルリンでは気軽に食べるようなもんじゃないので、(ほかのチキン料理は豊富 トルコ系とかのも)作ります。
トルコ系の肉屋にいくと、骨がとってあって なんか開いた鶏肉が買えます。どこの部分なんかわかんないけど どこだろ、胸肉っていうかそんなパサパサじゃない。どこかわかんないけど 鶏肉です。それを数キロかって小さく切ってネギと串にさす、
あと砂肝も買えるのでそれはスーパーで買います。magenみたいな名前でうってるやつです。magenって胃って言う意味だったとおもうけど あれはどうみても砂肝、 食べても砂肝。 私はそんなすきじゃないけど 作っていくと日本人の友達から喜ばれるのでいつも用意しています。 
友達の中ではveganの人ももちろんいるので 豆腐ものやきのこ類などもクシにさして 準備して いつものテンペルホフへ。
バーベキュー用の網(使い捨てで 炭もセットになってる奴がスーパーなどに売ってる)で焼いて食べます。
タレも適当に醤油と砂糖とかなんやかんや煮詰めて持って行きました。

今回でもう4回め。 毎年 来年はこうしたほうがいいなと勉強しながら終わります。
今度こそ、もうバーベキュー用の使い捨てじゃない網のやつを買おうかなとおもってます。 もし来年もするなら。
毎年 もう焼き鳥やんなくてふつうのピクニックでいいかな、、と思ってるんだけどなんとなくやってます。
前にもかいたかもしれないけど こちらの誕生日は 誕生日を迎える人が自分ですべて用意して人を招待します。だから誕生日はお金をけっこうつかいます。招待された人はちょっとしたプレゼントを持って顔を出しにやってきます。

ちょっとした豆知識でした。