題字:権田直博

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2016年11月30日水曜日

ぐるぐると考える

昨日休みだったのであたらしい冷蔵庫も来たし(そのため 冷蔵庫を空っぽにしてたのでなにも食べ物がない)一人でスーパーに買物にいきました。
近くにはリドルという安いスーパー、カイザースというすこし高めのスーパー、それから アルナトゥーアというビオ(オーガニック)のスーパーがあります。
野菜はできるだけアルナトゥーア(カタカナでかくとなんか変だな)で買おうとおもっていて、そこはいうほど高くないので 私のようなものでも買えます。
普通よりすこし高いっていうくらい。 ときどき 同じか、ビオのほうが安いときもあったりする。
カイザースもリドルも一応ビオの野菜おいてるんだけど 品揃えや状態があんまりよくない時があるのでそういうばあい 二度手間なのでビオスーパーの方に行くことが多いです。 ただ、カイザースやレーヴェ(というスーパーも近所にはないが他の場所にある)は夜遅くまで24時くらいまであいてたりするので バイト後とかによるのは便利です。

話がそれてしまった。

それで アルナトゥーアに向かって歩いてる途中 橋の下に家のない人の家があって そこに小さいテーブルがあって みんなそこにお金や何かを時々寄付したりしてるみたいで。
わたしの前にあるいていた男性は足をとめて リュックからりんごかなにかを出してそこのテーブルにおいていた。

私はなにもしなかった。

そして また歩いていくと 教会の前に男の人がすわってその前には紙コップ(お金を受け取るため)がおいてある。
途中の水たまりや池はこおり始めていたので 気温は多分もうマイナス。
寝袋みたいのにくるまって その男の人はいつも座ってる。
前はカイザースの前にすわってたんだけど 最近は教会の前に移動した。
あまりに細くて最初女性かとおもってたけど このまえ見たら男性のようだった。
彼はいつもただ座っている。

わたしは何もしなかった。

私はお金をいっぱい持っていたので(ソファーを買うためのお金)そのお金を銀行の口座にいれなくちゃいけなくて、銀行に行った。
銀行のドアを開け閉めしてくれる男性(彼もまた 家があるのか無いのか、 そうやってお金を稼いでいる。前は彼もカイザースの前にいて 雑誌を売ったりしてた。 その雑誌は受け取らなくても良い。 )がいた。
彼は教会の前に座っているひとよりエネルギーがある感じだ。

わたしは 銀行(ATMだけ)のドアを開け閉めしてくれたり 自分で仕事を作り出しているひとに対して 時々小銭がたくさんあるときに ドアをあけてくれてありがとうとお金を渡す時がある。 
でもこの時、お金があるにもかかわらず、 渡せなかった。 
なぜなら 教会の男性にお金をわたさなかった直後だからだ。
でも彼はこうやって自分で仕事を(勝手に)やっている。(そもそも銀行のドアを開け閉めする仕事なんかない。が いろんな銀行でそういうひとがいる。元気に挨拶してくれるひと、無気力に開け閉めしてるひと 様々だけど。ATMの部屋内は温かい。) それそれに対して払うのだから良いのだろうけど、あきらかに教会の前の男性のほうが エネルギーがなく、同じお金ならそちらに渡すべきなんじゃないか、とかぐるぐる考えてるうちに 銀行から出てしまった。その後もずっと考えながらあるいていた。

教会の前の彼は、きっとやろうと思えばドアの開け閉めもできるだろう。縄張り等があるのかもしれないが、、、ほかにも 雑誌を売ったり、 空き瓶をあつめたり、支援もうけられるんではないだろうか。
でも 見る限りいつもそこに座っている。もちろん24時間365日わたしも底にいるわけではないので 見てない時間のほうが長いから もしかしたらなにかしてるかもしれませんが。
一方 銀行の開け閉めや雑誌を時々うってる彼は 笑顔で仕事を自ら見つけてやってる。
わたしには 出会ったすべての 紙コップを差し出すひとにお金をわたすということはできない。其のときに小銭がなかったらどうする。 小銭が有るときだけ渡す? わたしだってそんなに裕福なわけではない。
でも、わたしは 自分やパトのために 少しだけ高いビオのスーパーにいく余裕はある。

でもそれは私やパトは 働いてお金を稼いでいるから。
彼が働けない理由があるのかもしれない。
わたしのような外国人が彼らから仕事を奪った?
それは言いがかりだ。 ビザの問題?もしかしたら彼はどこかの国からながれてきて働けるビザがとれないのかもしれない。 もしくは ほんとに無気力なのかもしれない。
でも 生きている。ほとんど 一日じゅう同じ場所で座って 毎日。でも
紙コップをおいてるということはお金を入れてくださいという意思があるんだ。


勝手にこうやって考えを巡らせることも 自分本位で失礼なことかもしれない。
わたしはただ、 自分の責任から逃れるために 言い訳をつくってるだけだ。
なぜ、彼にはお金をわたさず、仕事をしてる元気そうなひとにお金を渡そうとおもうのか。
自分の中で理由を作らないと、寄付というものは できない。
全部に平等になんて どうやっていいのかわからない。
そして 答えはまだでない。

今まで通り、 小銭がたくさんあるとき、 仕事をしてるひとに、ありがとう、と渡すというので行こうと思うが、それが正しいのかわからない。




バイト先のみんなが冷蔵庫をプレゼントしてくれた。
小さくて古くて冷凍庫が壊れててブーーーーーンってうるさくて、でも 木目調でかわいくてなかなか気に入ってて、一応つかえるし買うとお金もかかるし、で、買い換えるのに抵抗があったけどそろそろ買い替えたいな と思ってたので 心底嬉しい。
冷凍庫も別室になってるりっぱなやつです。
しかも全然うるさくないしエコのやつです。 ありがたい、本当にありがたい。
冷凍庫がついてるもんだから バイト先から 冷凍うどんを買いました。
(日本の食品の販売もしてる日本食レストランなのです) これでおいしいうどんが食べられる。食べられるというか 速攻たべました。
パトもうどんがすきなので 喜んでいます。

肉を食べないと痩せるかなという淡い期待は、もちろんかなっていません。
肉食べないからって痩せないよ。
他のもの食べてるから。 チョコもチーズもパンも食べるし。変わらないよ。なにも。
痩せたり体調良くなる人もいるんだろうけど、私は特にかわらない。相変わらずなんらかのアレルギーで鼻水はいつもでてるし、昔金属アレルギーでやられて なおらない首のカサカサの痒い部分もなおらないままだし まぶたもアレルギーでかさかさになるのも なにもかわらない。イライラしなくなるとかもいうけど するよ。
それか 1ヶ月やそこらだから なにもかわらないだけかな。
たぶん人それぞれなんだろう。


いつまで肉が食べられないのだろう。夢なんだからそんなのもうどうってことないのにな、
でもまあ別に食べたくならないから 食べなくて良いんだろう。
食べたくて仕方なくなるときまでとりあえず様子をみよう。

餃子とか え まさか一生たべられないの? とおもうけど まあ 別にひき肉が入ってない餃子でもいいや とか今は思うのです。
そんで 今使ってる財布は 革製なんだけど それも なんか ちょっと抵抗をかんじはじめてしまっている。 でも気に入ってるんだけど。
ひとはそうやって veganになっていくのだろうか

そしてパーティー

結婚式から一週間後 こんどは 大勢の友達とパトの親戚たちを招いてパーティーをしました。
一つのクラブというか ライブハウスというか そこを貸し切り、友達のバンドと私達が演奏したり、友達がたくさん食べ物をつくってくれたり、ケーキもつくってくれたり、そんなパーティーです。
わたしはもともと 結婚式は森でみんな動物とかの格好をしてやりたいな とふんわり思っていたんですが 時期は11月 森なんか寒すぎ、暗すぎてむり。
てことで、 ドレスコードだけは決めました。
動物か小人。

コレが結構みんな本格的にメイクしてきてくれたり 衣装をつくってきてくれたり、楽しんでくれたみたいで、よかった。
親戚のおじさんたちなんかはよれっとした三角の帽子かぶるだけで小人になるし。
写真を載せたいけどこのご時世、かってに顔がでてる写真なんかのせるわけにはいかないので 想像でおたのしみください、、

後ろ姿のはいいかな 歌ってるのはわたしとリンダです。zzzです。



DJも友達がやってくれて みんなすごい酔っ払ってた。あと結婚式でよくある ふたりの小さい時の写真とかをまとめた映像を友達が密かに各々の家族や友達
とコンタクトをとり、写真をあつめつくってくれて 上映してくれた! うれしかった。
が! 私はその時吐き気とたたかっていたのです。
なんか多分会場の空気と疲れで 外の空気吸いに行こう、水のみたいとおもってるときに なにやら映像が始まりそうな雰囲気。 これはもしや、 とおもいつつ 今外に出ていくわけにはいかない!とにかく映像! だが なんかプロジェクターの調子がよくないのかなかなかはじまらない、 そしてついに始まった映像。
本来 感動して泣くだろうとおもうほどだったが それどころではなかった、、、
あとで映像をもらうことにした。。。チーーーン。
でもみんなすごくわらったり 歓声をあげたりして もりあがってた。

宴は朝方まで続き 家に帰ったのは4時過ぎでした。

これにて おおきなイベントは終わり。

あとは手続きの数々を済ませるのみ。









2016年11月28日月曜日

結婚

先日、ついに結婚しました。
standesamtという役所で式をあげました。
といってもそんな大層なものではなく 役所のだれか偉そうなひとがなにか話して サインしてっていうかんじです。
うちの両親と妹も日本から来てくれました。それがなによりうれしかった。
友達数人と、パトの家族と。
リンダが 頭につける花輪をつくってくれた。
退場のときみんなとハグをするんだけども、そのときやはり涙がでてしまった。
パトの家族がしっかり受け入れてくれている嬉しさと、ああ中山じゃなくなるんだな、という寂しさと。別にドイツだから 夫婦別姓でもかまわないんだけど、 相手の名字に知ることにした。なんとなくそれが けじめのような気もした。
生活自体は前となんらかわらない。もともと一緒に住んでいたし、生活のためのお金は別々だし。 
そして ビザも無事3年分とれた。なんかB1(レベル)終了した証明書みたいなのをもっていかないと無期限のはもらえないぽかった。 わたしは終了したけどそんな証明書もってなかった。まあいいや とりあえず三年。 なんでもできるビザ。
どこでも働けるし、学生にだってなれる。

なんとなく将来外国にいくんじゃないかな〜と幼少期おもってたけど 結婚までするとは。わからないものです。

まだまだドイツ語はわからないことだらけだし、日々精進あるのみですが、
なんとなく 落ち着くとこに落ち着いたんだなという気がしています。

そこに落ち着いたのは いままで出会った人たち、モノ、出来事 すべてがここにつなげてくれたんだなと思います。
そして今もまた 先にずっとつながっているんだな。



日本の旅 3

尾道はホステルにとまりました。
まえにMさんがおすすめしてくれた あなごのねどこというところ。
すごく雰囲気も良くてそこにしてよかったです。
ビーネと銭湯にいったり、 散歩したり、みんな各々のんびりすごしました。
その後 パト念願の 新幹線! で東京へ。
新幹線よろこんでいて よかった。
東京では新世界というとこで田島さんたちとライブでした。いとこや ベルリンのともだちたちがきてくれました。 たのしかったな。
東京で泊まったとこは駅からまあまあ距離があって イマイチだった、、
しかも雨で寒くて。晴れてたら印象もちがったであろう。
わたしが東京いくのは 友だちに会うためや 自分のライブ、それからついでに美術館とかにいくくらいだったから まじで東京のことよく知らずみんなにもなにも教えられなかった。うちらがサウンドチェックとかしてるうちに みんなは観光いってきたみたい。

東京は2日くらいの滞在で大阪に戻りました。

そして翌日に ベルリンにもどる という 強行スケジュール。

でもみんな日本すごくきにいったみたい。 
とくにパトは その後も ときどき日本でのことを思い出す。また行きたい。ともらしております。

よかった。

コンビニや、どこでもトイレがキレイだっていうことがやっぱみんなよかったみたい。

わたしは 日本に行く数週間前?くらいに 怖い夢を見て 肉を食べることをやめてるんだけど、(壁一面に牛や豚の生首、 地面にも血肉がとびちり、そして みんな 涙を流し鳴きながらこちらをみてるという 衝撃的な夢、その後FBで だれかが貼ってた 閉じ込められてた牛たちが外にでて うれしくてジャンプしてる映像 をみて ああ 生きている、と思い、 肉をたべることに抵抗をもってしまった。 でも魚は食べられる。
おかしなものです。魚も野菜もいきてるのにね)
日本では選択肢がすごい狭まるということ。
日本、肉ばっかじゃないか!
日本のベジタリアンとか ヴィーガンの人ってどうやってすごしてるんだ。すごく生きにくい。自炊ばっかりになるのかな
ベルリンならほぼかならず ベジタリアン用の選択があるのに。

でもてんぷらや、うどんなど美味しいものも食べたし満足でした。

次はいつかな〜 わたしは 毎年行きたい。 だって 姪っ子がどんどん大きくなってしまう!


日本の旅 2

滞在したのは10月の18〜30くらいだったんだけど、
夏みたいに暑くて よかった。 金木犀もいい匂いだった。

大阪に一週間滞在、そのあいだに、ムジカで結婚しますパーティーライブ(すごく楽しかった)、うちの実家にパトつれてったり 母の誕生日に食事にいったり、ふつうに梅田あたりをうろうろしたり、髪の毛を切りに行ったり。
あとみっこくんのミセストライアングルにいったり。
それから神戸の香山さんの店にも。友達にもたくさんあえてよかった。

ここで 大阪きてんのに 京都いかんのかい! とわたしは何度もいいました。
でも 京都にはさほど興味をしめさず、普通のわたしの生活のほうに興味があるようでした。

ベルリンかえって 他の友だちに え 大阪いったのに京都いってないの?ていわれてたけど、案の定。 わたしもそう思いますもの。

そして一同は広島へ。 おねえちゃんの赤ちゃん、そして 家族集合です。
パトと家族があい、そして 結婚してもいいかと父に尋ねるという一大イベント。
パトは日本語できないし 父はドイツ語できないので(あたりまえ)英語で。
父が英語まあまあ分かる人でよかった。

一大イベントは難なくクリア。そして 家族写真を 写真スタジオでとってもらいました。

翌日は宮島、そして 尾道へ。

日本の旅 1

前日よりみんなうちに集合して いざ大阪へ!
フィンエアーです。ヘルシンキ乗り換え。フライトの時間が短くて良いんだけどわたしはあんまりフィンエアー派じゃない。なんか狭い感じがするし、なにより映画の種類がすくない。いつもなんか エコノミープロみたな 普通のエコノミーよりはすこし広いですよみたいなチケットだけど それでも狭い。わたしが狭いと感じるんだから慎重が180くらいあるナディンなんか ぎゅうぎゅうだよ足が。食事もぜんぜんおいしくない。
文句ばっか入り言ってるけどかなりの確率でフィンエアーを使わせていただいております。(安い時期が重なる)ありがとうございます。
さて ヘルシンキの空港でみんなでわいわい過ごし、それでも飛行機が怖いナディンとビーネは半ばパニックだけど、薬飲んで落ち着いて ぼーっとして乗ってました。でも離着陸のときは泣いてた、怖くて。 しかも今回みんなくっついた席とれなくて バラバラ。。なんでなんだろ、やっぱ安いチケットだからかな、時間通りにオンラインチェックインしても席取れない。
まあいいや。

さて 日本到着! ここから私のオーガナイズ力が試されます。
まず、お金。 大金をもちあるきたくないし、こっちの(ドイツ)のクレジット付きの銀行のカードで日本のATMで下ろすというふうにしました。
みんな徐々にいろいろ覚えていきました。
(みんな日本どころか ヨーロッパ以外初めてのレベル)
そして 自販機で水を買えないというしまつ。水がのみたいのに 水だと思って買った飲み物は水じゃなかったという。(スポーツドリンクなどまちがえてかってました)
いわゆる民泊というやつで借りた住居でみんなで滞在したんですが なかなかよかったです。
ホテルより安くてホステルより安心だし、自分たちだけの家があるのは良かった。
コンビニでキャイキャイなにか買ったり 日本のふつうの生活をたのしみました。